「一に人、二に人、三に人」後藤新平伯胸像除幕式と
福島県立医科大学を取り巻く動き
福島県立医科大学医学部同窓会の皆様、長かったコロナ禍からようやく明けて、日常生活はいかがお過ごしでしょうか。
2023(令和5)年3月18日には福島県立医科大学の源流である須賀川医学校に学んだ後藤新平伯の胸像除幕式を挙行いたしました。竹之下学長兼理事長と後藤新平記念館(岩手県奥州市)佐藤館長にもご列席いただき、ご祝辞をいただきました。後藤伯は1873(明治7)年に須賀川医学校で近代医学を修め、日清戦争後の帰還兵23万人に日本最初のクアランチンを実施して、国内へのコレラ感染を予防しました。そして、台湾大学の前身となる台湾医学校を設立するなど台湾総督府民政局長として「台湾第一」を貫きました。また、関東大震災直後に帝都復興院総裁として災害に強い東京として再興に尽力しました。 図1
多くのすぐれた医療人を輩出してきた福島医大は、特に2011年震災以降はこころを含めて県民の健康回復に貢献してきましたが、加えて今新たに重要な使命を担おうとしています。2023年福島県浜通り復興の拠点となる福島国際研究教育機構(F-REI)が発足しました。その骨格のうち、第一分野(ロボット)、第二分野(農林水産業)、第三分野(エネルギー、カーボンニュートラル)はそれぞれ工学系、農学系の大学が担い、福島医大は第四分野(放射線医学、創薬医療)と第五分野(原子力災害データと知見の集積)で中心的な役割を担うことが期待されています。第四分野では特にアルファ線放出核種を用いた新たなRI医薬品の開発と新しいがん治療、第五分野では県民健康調査で集積したデータを基に災害からの健康回復に役立たせようというものです。 図2
福島医大医学部同窓会は同窓生と共に大学と連携し、福島医大の発展に尽くしてまいります。
(2023年6月 令和5年度定期総会によせて)
福島県立医科大学は2021年(令和3年)9月に淵源以来150周年を数えました。1871年(明治4年)に白河医術講議所としてスタートしてから須賀川医学校、三郡共立病院、県立福島病院、福島県立女子医学専門学校を経て令和の今日まで栄えある功績が積み重ねられてきました。医学部同窓会は現在、医学部学生、卒業生、講座・診療科等で共に研鑽した先生方の約5700人から成り、母校の発展、同窓生の情報共有と親睦のために貢献しています。
医学部同窓会は歴代の役員が、会員の皆様とともにその発展に尽力されてきました。歴史的には財政的ひっ迫から医学教育を断念しながらも、脈々と福島県の基幹病院として、そして戦時中の福島女子医専先達のしっかりと肝の据わった情熱を受け継ぎ、現在につながっています。
2011年(平成23年)3月11日の東日本大震災に続く東京電力原子力発電所事故によって福島県は大きな試練に立たされましたが、福島県立医科大学は先頭に立って多くの困難を乗り越えてきました。同窓会会員と海外・国内からの力強い励ましと援助は我々に希望と勇気を与えてくださいました。
福島県民の健康を見守る「県民健康調査」は放射線影響が見られない証左を積み上げてきました。しかし、一旦傷ついた「こころ」の回復には未だ時間がかかるかもしれません。同窓の先生方からは1.7億円余の寄付をいただき、地震で使用不可となった「学生寮」の新築再建が2016年(平成28年)3月に実現でき、医学部・看護学部・保健科学部の学生たちに居住環境を応援してきました。
このような中、2022年(令和4年)6月11日「福島県近代医学教育150年顕彰記念シンポジウム~地方医療と先進医療にどう貢献するか~」を開催して、国立台湾大学倪衍玄(Ni Yen-Hsuan)医学部長には記念講演をしていただきました。国立台湾大学医学部は須賀川医学所時代の同門である後藤新平先生が日本の台湾統治時代に「台湾医学専門学校」として設立した経緯があります。今回のシンポジウムを機に福島県立医科大学と国立台湾大学医学部は友好協定締結に向かっています。
また、福島民友新聞社と共同企画して、本県近代医学の黎明期に活躍した先達たちの偉業を掘り起こしました。2021年(令和3年)7月から2022年(令和4年)5月にかけて新聞連載した「ふくしま近代医学150年黎明期の群像」は大きな反響があり、書籍化が決まりました。
私は2022年(令和4年)6月11日に開催された令和4年度理事会および定期総会で、重富秀一会長の後任として会長を引き継ぐことになりました。浜通りに建設される「福島国際研究教育機構」をはじめとして、福島県立医科大学が新しい時代に飛躍できるように同窓の先生方とともに後方からしっかりと応援して参りますのでよろしくお願い申しあげます。
(2022年6月 就任挨拶)
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