リュージュ(龍樹)の伝言
第26回:シネメデュケーションの盟友
2013/07/14
WONCA(世界家庭医機構)の世界学術大会は3年ごとに開催され、先月チェコ共和国のプラハで開催された。私は、カナダのバンクーバーで家庭医療のレジデント(研修医)だった1992年にちょうどそこでWONCA世界学術大会が開催されたので、その時がWONCAデビューだ。それ以来、1995年(香港)、1998年(アイルランド、ダブリン)、2001年(南アフリカ、ダーバン)、2004年(米国、オーランド)、2007年(シンガポール)と参加している。残念ながら参加できなかった2010年(メキシコ、カンクン)を除き、すべてに顔を出していることになる。
WONCAの学会へ参加することには、学術的成果発表をする以外に、世界の家庭医仲間と会える喜びがある。今回のプラハでのWONCAでも実に多くの旧友と再会し、新しい友に出会うことができた。今日は、その中から、ブラジル、サンパウロのパブロ・ゴンザレス・ブラスコ(SOBRAMFAブラジル家庭医学会Scientific Director)との再会を紹介しよう。第14回の『伝言』で披露したように、私は映画を使った医学教育「Cinemeducation(シネメデュケーション)」を長くしているが、パブロはその盟友と言える。2004年の米国フロリダ州オーランドでのWONCA世界学術大会以来だから、9年ぶりの再会である。
2004年のWONCAで、私とパブロはメインのプレナリー・セッションに招待されて講演した。企画したのは、WONCAのCEOを長く務められたオーストラリアのWesley Fabb教授(ウェス)と開催国の学術委員長でオレゴン健康科学大学のRobert Taylor教授(ボブ)だった。ふたりは、今も私を温かく励ましてくれる恩師である。
世界で家庭医療の整備が最も遅れている6ヵ国(日本、ブラジル、ベトナム、スリランカ、ジンバブエ、ネパール)の演者が招待され、それぞれの国での課題とそれにどう対処しているのかを発表するものだった。一見「不名誉な」講演だが、そこは家庭医の世界学会である。座長のウェスもボブも、集まった多くの聴衆も、6ヵ国の置かれた厳しい状況に共感し、さまざまなコメントで励ましてくれた。「逆境でも頑張っている姿に感動して涙が止まらない」という人さえいた。
そのWONCAで、パブロがシネメデュケーションのワークショップをやっていたので、私も参加した。彼のやり方は、私のとは異なっていて、学生・研修医に好きな映画の場面をクリップとして作らせてそれにタイトルも付けされておく。みんなでそのクリップを観ながらタイトルに関連付けてディスカッションするのだ。ちなみ私の方法は、私自身がクリップを作って、テーマは与えずに自由にディスカッションさせる。
その時、ブラジルの研修医たちが作ってきたクリップは、映画『ラストサムライ』(Edward Zwick監督、2003年、アメリカ映画)だった。機関銃で武装した新政府軍にラストサムライたちが挑み、敗れる最後の戦の場面だ。渡辺謙演ずる首領カツモトが「見事な死」を遂げると、新政府軍も全員土下座をして最敬礼する。そんなクリップにブラジルの研修医たちは、「リーダーシップ」というタイトルを付けていた。
パブロからコメントを求められて、私は、あの戦場シーンの背景に満開の桜が一本映っていて、その花びらが風に吹き流されていたことに気付いただろうか、それはサムライの人生を暗示している、と語った。パブロや研修医たちはもとより会場にいた人たちも「それには全然気が付かなかった」と、日本人の死生観と美学にとても興味を示した。ところがただ一人、「私はそれに気が付いていました」と言って、私に近づいてきたブラジルの研修医がいた。「私の祖母は日本人です。日本人として、祖母は私にサムライの生き方を語ってくれたことがあります。」と話してくれた。こうして日系三世ブラジル人が加わり、さらにディスカッションは盛り上がった。
こんなわけで、パブロと私は、ひとつの国に家庭医療のシステムを作ることと、映画を愛しそれを家庭医の教育に使うこと、この二つに互いに奮闘しているということで、最初に出会った時から、かなり深く共感しあう盟友になったのだ。もちろんパブロは9年前のことをはっきりと覚えていた。「これから一緒にシネメデュケーションの本を書こう」と再会を祝して盛り上がった。おりしも、次回2016年のWONCA世界学術大会の開催地はブラジルだ。お楽しみはこれからだ!