FUKUSHIMAいのちの最前線
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第2章福島医大関係者行動記録〈手記とメッセージ〉FUKUSHIMA いのちの最前線81体制で診療に臨んでおります。現在震災後10日目、病院もライフラインは復旧し、徐々にではありますが、急性期は過ぎつつあります。しかし未曾有の大地震、津波、そして原発事故と重なる災害により、本当の平穏が訪れるのはいつのことでしょうか。避難中の方々を含め、福島では困っている人が大勢おり、これからも医療者を必要とします。こんな時だからこそ皆で助け合い、誰かの役にたてる人になりたいという医師を志した目標の下、これからも頑張っていきたいと思います。 はじめに今回被災されたすべての方々に心よりお見舞い申し上げます。あの震災からもう10日が経とうとしています。震災直後より研修医は全員救急科所属となり、津波に巻き込まれた人や、原発で作業中に受傷した方、浜通りの避難指示のでた地区の病院からの転院搬送など様々な患者さんを診てきました。大学病院でも物資の不足で検査、処置などに制限のある中、目の前のことを出来る限りでやっています。現在ライフラインや物流も回復しつつあり、正常化の兆しが見えています。 大規模災害時の医療をまさか自分が実践することになるとは思ってもみませんでしたが、大きな混乱もなく出来たのは、通常当院救急外来で行っている診療システムと被災しながらも病院に集まった多くのスタッフのマンパワーによるものと思います。 まだ、原発の不安はありますが、公表されているデータを理性的に判断する限り私は大きな心配をしていません。今回を機に再度放射線について勉強しました。この震災は大変大きな悲しみでありますが、頑張っていきたいと思います。 東日本大震災という大きな災害の中で、私たち初期研修医は救急科で研修をさせてもらっていました。大学病院ということもあり、近隣の方々だけでなく、南相馬地区などの遠方の被災地からも搬送されてくる方も毎日のようにおられ、その対応におわれていました。 このような災害ではさまざまな情報が錯綜しており、誤った情報がたくさん出回ります。特に原子力発電所の事故による放射線被害は今まで経験したことのないことでもあり、不安が大きいと思われます。正しい情報を得て、誤った情報(チェーンメールなど)に惑わされないように気をつけていただきたいと思います。 この度の東北関東大震災で被災された皆様に、心よりお見舞い申し上げます。 私の母の実家は岩手県三陸沿岸にあり、津波で海岸部は壊滅的な被害を受けました。祖母は命からがら逃げた高台から、長年住み慣れた我が家が流されて行くのを見ていたそうです。被害に遭われた方一人一人の人生と生活を思うと、津波の破壊力とその被害の甚大さに震える思いです。 今回福島県は災害に加え原発事故という異常事態のもとに置かれています。医療現場においても情報は錯綜し混乱していました。私達研修医の選択は個々に任されていましたが、不眠不休で最前線で奔走する先輩諸氏の姿に、微力ながら一医療人として私に出来ることをしたいという気持ちでした。 そのような極限の中でも私達研修医を気遣ってくださる先生方やスタッフの方々に、人間の強さと温かさを感じました。また研修医仲間のつながりにも励まされました。 そしてライフラインが整わない中、物資を届けてくださった皆様に深く感謝申し上げます。当たり前だった全てのことがいかに有難く、いかに沢山の人に支えられて成り立っていたものなのかを改めて実感しています。 街は少しずつ動き出しています。皆かつての日常を取り戻そうと必死です。福島県はこれから復興への努力に加えて、先行きの見えない原発への不安や風評被害という更なる波と闘わなくてはなりません。今、医療者としてだけでなく、一個人として、正確な知識を得る力と適切な判断力が問われています。 ただ、目の前の患者さんを救いたいという私達医療者の思いは、普段と何ら変わりありません。私達にはこの未曽有の事態を乗り越え、それを正確に世界に伝えていく役割もあるのだと感じています。 一人でも多くの方の命が救われますよう、また少しでも早くまた平和な時が日本中、福島中を包みますよう、心から願っています。研修医2年次鈴木 俊彦福島県出身(県立福島高校)研修医1年次大久保怜子秋田県出身(県立大館鳳鳴高校)研修医2年次菊池 智宏福島県出身(県立安積高校)

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