FUKUSHIMAいのちの最前線
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80 私が医師になることを強く意識したのは、阪神・淡路大震災のときでした。今、福島の役に少しでも立てたらとその気持ちを思いだしています。大変な思いをして毎日を過ごしている方々を思うと心が痛みますが、希望を捨てないでほしいです。早く県民の皆様が安心して毎日を過ごせますよう心から祈っております。 被災された皆様にはお見舞い申し上げます。今回の大震災を通して、人として研修医としていろいろと感ずるものがありました。今まで自分たちの住んでいた当たり前の世界が、どれだけ恵まれていたかがわかりました。それが地震によってその機能を一気に失ったとき、当たり前が当たり前でなくなり、様々な面で困惑してしまいました。もう一つ研修医として感じた大きなことは大学病院の凄さです。運良く病院自体の大きな被害はなかったのですが、施設もさることながら、各診療科の先生方のパワーを改めて思い知らされました。当日の救急外来に集まった先生方には、ただただ圧倒されました。普段以上の熱さを感じました。福島県の医療を支えているのだと実感すると同時に、自分も少しでも役にたてればと思いました。最後に一日も早い被災地の復興と被災された皆様の健康、そして笑顔が戻ることをお祈りいたします。 我々初期研修医は、震災後より救急外来での診療や、退避地区の患者さんの転院搬送業務を担当させていただいております。物資やガソリンも十分でなく、また帰る家に水はなく、一人では容易にくじけてしまう状況にありますが、同世代の仲間たちでお互い支え合いながら日々の仕事をこなしております。研修医の我々にできることは小さいことかもしれませんが、大いなるやりがいを感じて前向きに頑張っています。守り抜きたい福島の医療がそこにある…。郷土愛と団結力を武器に、今日も我々はこの地で戦います。一日でも早く被災地が復興されますように。 私は今年の1月から3ヵ月間、救急科で研修していますが、その3ヵ月目にまさかこのような大震災を経験するとは思ってもいませんでした。 今回の地震で亡くなった方は一万人を超えるというニュースを見ました。そのそれぞれに家族が居て、その人達の分だけ悲しみがあるのだと思います。できるならその悲しみがこれ以上増えないことを願っています。日本が早く復興しますように。私の実家も被災地となり、津波による被害を受けましたが、家族も友人も無事でした。行方不明者、お亡くなりになった方が多数いる中で、家族・友人を失わずにすみました。 現在当院では研修医は救急科所属となり、シフトを組み、救急搬送された患者さんの対応にあたっています。地震当日から全国各地からDMATの方々、各方面のスタッフ等の方々が手助けをしてくださっています。今回の大震災を通じて自分の家族や友人、先輩、後輩がいて、住む場所もあり、普通の生活が滞りなく送れるということはとてもすばらしいことなのだと実感しました。今、医療スタッフ・救急隊員・警察官・自衛隊員など様々な関係者から被災者を助けようとする熱意やプロ意識を感じ、多くのことを学ばせていただいております。 東日本太平洋沖大地震における被災者の方々には心よりお見舞いのお言葉を申し上げます。そして、一被災者として、多くの心配や励ましのメールや電話、援助にきてくださる人々、全国から届く救援物資、その一つ一つに心温まる思いを感じており、この場を借りてお礼を言わせて下さい。本当にありがとうございます。 当院は福島県の医療における拠点として、重傷患者受け入れ施設でもありますので、トリアージをしながら福島市内の患者さんや相双地区の患者さんのヘリ搬送受け入れ等を行っております。我々研修医は全員が救急科所属となり、シフトを組んで24時間研修医1年次菅野 優紀福島県出身(県立安積女子高校)研修医1年次高間 朗福島県出身(県立福島高校)研修医1年次中山 馨東京都出身(都立八王子東高校)研修医1年次大堀 綾子福島県出身(県立相馬高校)研修医2年次五十嵐 亮福島県出身(県立会津高校)学生ボランティア・研修医・看護学部からのメッセージ

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