FUKUSHIMAいのちの最前線
77/608

第1章FUKUSHIMA いのちの最前線71戦場と化した福島医大—先生は、今回の震災記録集に掲載されている写真の多くを撮影されました。撮影しようと思われたきっかけは何だったのでしょうか。ノレット先生◦震災後すぐに、アメリカ ミネソタ州の輸血医療専門家であるJed Gorlin先生から一通のメールを受け取りました。そこには、「無事ですか?これからのことをすべて記録するのです!いまこそ、輸血医療の緊急事態に国がどのように対応するのかを記録するときです。」と書かれていました。それ以降、アメリカに帰国する度に日本の震災対応について話すよう依頼され、講演を行ってきました。大戸教授や私、本学の他の先生方も、学会誌等に震災についての論文を書いています。—在日米国大使館が日本にいるアメリカ人に対して避難を呼びかけていた間も、先生はずっと福島にとどまっていらっしゃいましたね。なぜでしょうか。ノレット先生◦アメリカだけでなく、他の国々の政府も自国民に対して退去するよう強く勧めていました。一般的に言って、これはいいアドバイスであったと思います。というのも、ここ福島ではあらゆるものが著しく不足する事態になっていたからです。何か役に立つことがなければ、外国人が日本にいることは日本の皆さんにとって負担になりかねませんでした。―ということは、先生にはなすべきことがあったということですね。記録集の写真の中で、先生が全学全職種ミーティングでお話しされているものが1枚ありますが、先生の役割、またどんなことをお話しされていたのか、教えてください。ノレット先生◦全学全職種ミーティングは、最初の頃は一日3回行われており、その後はKenneth E. Nollet[ノレット ケネス]氏(MD, PhD)は、大戸斉教授(福島県立医科大学医学部長)が講座主任を務める福島県立医科大学輸血・移植免疫学講座の准教授です。2012年10月、同大学においてインタビューにお答えいただきました。ここが私の家

元のページ 

10秒後に元のページに移動します

※このページを正しく表示するにはFlashPlayer9以上が必要です