FUKUSHIMAいのちの最前線
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第5章次世代へ伝えるFUKUSHIMA いのちの最前線581胸に刻んで歩んでいって下さい。 明日から、君達はプロとしての仕事を覚え、あるいは磨きをかけて、それを自分のモノにするために研鑽を積む時期が待ち受けています。この「修業」の場では、多少の矛盾や不条理には耐えていくことが求められます。 でも、恐れたり怯むことはありません。人間は、皆失敗しながら生きているのです。そして、幾ばくかの苦悩や喪失を日々繰り返しています。でも、みんな自分なりのベストを尽くして生きているというのが世の中です。大切なことは、日々遭遇する、目の前の一つ一つの事実から逃げずに、愚直に向き合い、そして勁つよく生きていくことです。 人間というものは、人生が配ってくれたカードでやっていくもので、配られたカードが悪いと愚痴をこぼしたりするものではありません。人生こうしようああしようと計画を立てて、自分の人生を考えても、その通りになることはありません。殆ど違った方向へ行ってしまいます。でも、大切なことは、その場その場で自分のベストを尽くすことなのだと思います。日々のひたむきな生き方の積み重ねが、その後の自分を形づくっていくのです。今日から、君達は、価値観を「何になったか」ではなく、「何をしたか」に置いて下さい。 皆さんは今日、本学を巣立って行きます。しかし、皆さんが本学を出て行くことはあっても、皆さんの心から本学が出て行くことはありません。自分の母校に、あるいは自分の生き方に誇りを持って、いつか母校の為に少しでも貢献できる人間に成長していって下さい。 私の医師としての長い経験から、皆さんに三つの言葉を贈ります。 一つは、「愚直なる継続」です。何でもよいですから、毎日継続できるものを自らが決めて取り組んでみてください。これを実行するには鉄のような意志が必要です。「風を待っている軒下の風鈴」のような受け身の態度での研鑽は、自分の運命を他人の手に委ねるようなものです。毎日五分間、本を開くことでも結構です。大切なのは、本を読んで理解することではなく、開くことです。その積み重ねを三年間続けると、もはや誰も到達できない境地に達することが出来ます。プロとしての医療人にとっては、愚直なる継続が最大の武器であり、大成する王道です。 もう一つは、「誇り」です。頭を下げないことが誇りではなく、頭を下げた後に尚残るものが真の誇りです。誇りは、人生の道々で出会うであろう様々な苦難に立ち向かうとき、自分を支えてくれる最大の拠り所になります。本学、そして本学で出会った教師や友人を誇りにも思わず、また愛せず、これから出会うであろう組織や友人は誇りに思い、愛せるという生き方は、その功利性ゆえに自らを貶め、且つ他人からは軽侮されてしまいます。その結果、自分の人生を寂しいものにしてしまいます。修業や仕事を成し遂げるうえでの前提条件は、「絆」の存在です。双方に、相手に信頼を置き敬意を払うことが求められます。そこには、年齢、職業、地位、肩書きは関係ありません。 最後に、「出会いの大切さ」です。側に居る他者との関わりを人生とするならば、人生は出会いに尽きます。何故なら、“人生の扉は他人が開く”からです。 将来、皆さんが勁さと優しさを持った医療のプロになることを期待しています。修業とは矛盾に耐えることです。悲しみ、虚しさ、そして悔しさが、自分を成長させてくれます。研鑽を積む中で、「挫折の数だけ勁く、そして優しくなれる」ことを信じて頑張って下さい。自分の専門分野の研鑽は当然ですが、異なった分野に関心を持ち続け学んで下さい。それが勁さや優しさをより膨らみのあるものにしてくれます。 本学は、教育機関、研究施設、そして高度先進医療の最後のよりどころとして、国民や県民から信頼される人材をいかに育成し、招請するかが問われています。近い将来、大きく成長した皆さんが一人でも多く、本学の充実に貢献されることを期待してやみません。 卒業生、修了生の皆さん、健康に留意されて、本学でお世話になった先生方や、親しくなった友人との交流をこれからも大切にしてください。本学の伝統や名声を築き上げ、そして発展させていくのは皆さんです。大いに期待しております。 最後に、このような未曾有の惨禍を、今後、医療人として生きていくうえで心に刻んで、必ず次の世代の人に何かを伝えていってくれることを切望します。

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