FUKUSHIMAいのちの最前線
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第5章次世代へ伝えるFUKUSHIMA いのちの最前線571を耐え忍んだ先が見えない。新しい図があるのならそこに向かって歩く希望を県民や国民に持たせるべきです。菊地 福島県は現実にこれから、日本が迎える5年先、10年先の超高齢化社会の人口構成比に一瞬でなってしまった。人口集中地域での原発事故は初めてですから、こんな現象は世界的にもありません。超高齢化社会が突然福島県に出現したわけで、これにどう対応するかがわが国の将来像への提示にもなる。福島モデルが未来につながる。僕は生活を基盤とした医療・介護体制の提示がその鍵を握る重要なテーマだと思っています。 医療と介護は今度の診療報酬改定でシームレスになって、ケアミックスされました。これからは受益者である住民が動かずに、医療や介護や行政が受益者のところに行けばいい。つまり、受益者とサービス提供者のベクトルを逆にするんです。超高齢化社会では否応なしにそうした整備が求められるのであれば、いま福島で生活を基盤とした医療・介護を提供するシステムを構築し、日本に、世界にこのモデルを広げていく。 これも僕の個人的な見解ですが、いま、日本の1次、2次、3次医療は完全に崩壊しています。一例を挙げると福島医大の救急救命センターの9割は1次で、今後、これはますます強まることはあっても弱まることはない。南東北病院が東京や新百合ケ丘で成功していますが、これも東京が医療砂漠と化しているからで、つまり、1次、2次がなくて3次がかろうじてあるのが実態です。医療も24時間コンビニ化し、患者さんの権利意識も強くなって医療従事者も疲弊している。 大胆な発言かもしれませんが、そうであれば僕は病院もコンビニ化すればいいと考えています。その代わりいまのシステムではなく、救急の診療科や講座を3つほど作って、看護師と同じく医師も3交替にして、地域のお医者さんも参加する。患者さんは必ず48時間以内に大学病院や関連病院に搬送すれば、受け入れる病院も疲弊を免れます。原発事故という大惨事を前にしては、採算性や合理性を超えたシステムを提供しない限り住民の安心は絶対に得られないというのが僕の哲学です。県民には怒りがあって、政府の言う「安全」はもう、誰も信用しませんよ。──安全と安心がイコールではなく、安全と安心の間に乖離があって不等号になっている。菊地 安心は心の問題で、ある意味コストの問題でもある。福島県民はこのコストを国や東京電力が担保する義務があると主張していいと僕は思う。この壮大な試みは、やがて来る日本の医療の姿になる。救急体制は建前のみですから、24時間いつでも診てもらえるこのシステムは安心ですよ。そのための人的支援や財政支援は必要で、このコストは国民にとっても納得出来る税だと思います。一瞬にして超高齢化社会に突入した福島県──医大を拠点にした健康調査や放射線医療施設である「放射線医学県民健康管理センター(仮称)」が4年後に整備される構想が固まりました。低線量の現存被曝地域に住む県民の長期間の健康影響調査をし、福島県が放射線医療の拠点になり、創薬も含めた医療関連産業の集積が期待されています。原発事故を克服すべく世界的な英知が集まり、将来は世界からも「福島に聞けば、放射線医療の問題は解決する」ほどの人材や最先端医療の機能を有することは、同時に県民の安心にもつながる。菊地 そうです。だから、どうしても国の長期的な保障が必要です。健康管理センターは放射能被害を想定しているのではなく、影響が出ないことを証明するものであり、それを世界に発信していくのが政府と我々の役目だと思うのです。データを観察し、県民が安心して暮らせるサポートを続け、30年から50年の期間で不幸にして被った被害のデータを人類の財産として残していく。 そのためにも国や県にかかわってもらう組織作りが必要で、本学の附属であるべきだとか、県立であるべきだとか、国立でというのは手段の一つであり、長く管理運営が出来る組織であることが一番大事なのではないでしょうか。既に膨大なデータが蓄積されておりますので、医大や県が中心になりながら環境省や国が深く関与すべきだと考えています。──国の長期的な支援を担保するには、センターの世界の英知を結集し、放射線医療の最先端目指す

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