FUKUSHIMAいのちの最前線
565/608

第5章次世代へ伝えるFUKUSHIMA いのちの最前線559での8か月分は各自計算する。自治体が学童に配ったフィルムバッジ等の結果から自分と行動パターンの似たものを選び概算する。概算値は各自治体ホームページに公開されている。④内部被曝は、避難住民への先行調査結果を参考にする。住民の多くが50年間で1mSv以下に抑えられている。過小評価を避けるため、ここでは思い切って50年分を今年1年間に前倒し計算する。最大で1mSvと仮定する。⑤〈外部被曝(基本調査結果で4か月分+フィルムバッジ等から8か月分)〉+〈内部被曝(最大で1mSv)〉≒震災後1年間で震災前より余計に受けた放射線量2.「リスクの物差し」をあてる この値を発癌リスクの物差し(図1)、日常生活と放射線量の物差し(図2)にあてはめる。様々なリスクが人体影響という一つの物差しで比較できる。「人体影響がある放射線量(影響量)100mSv以上」と科学で証明されている。一方、よく聞く避難指標、食品規制値などは「それ以下であれば安全が確保される値(防護量)」で、人体影響が出ない値に設定してある。震災初期、両者の区別が明確にされず大きな社会混乱を招いた。3.「価値判断の天秤」にかける 「2」の放射線リスクが、自身の生き方にどの程度影響を与えるかを自分自身の「価値判断の天秤」にかけてみる。このような科学的事実に基づいた意思決定は通常無意識のうちに行われるが、的確な情報が得難かった本震災では、判断は容易ではなかった。4.科学的事実と幸福感 ところがこれだけで事態は解決しない。震災で突然強要された放射線リスクは、何の見返りもないうえ、将来の発癌可能性があるかもしれない生死に関わるリスクだ。頼みの科学はといえば「100mSv以下の放射線量は発癌を増やすか判らぬくらい低いけれども、絶対増やさないとはいえない」と何とも悩ましい表現をする。つまりリスクはゼロではないというのだ。受容できるリスクの大きさには個人差があり、僅かな量でも許さぬ、ゼロでないと嫌だという人もいる。だが残念ながら我々をとりまく環境はすぐには変えられない。実現不可能な放射線ゼロリスクを求めた先にあるのは、叶わぬことに対する「虚無感」であろう。図2. 日常生活と放射線(単位:mSv(ミリシーベルト))1000250106.92.410.60.10.010.0050.0007100緊急作業従事者の被ばく限度(年間)世界高線量地域での自然放射線量(ブラジルのガラバリ)(年間)自然からの放射線量(1~1.3mSv/年)1人当たりの自然放射線(年間・世界平均)CTスキャン(1回)胃のX線集団検診(1回)東京→ニューヨーク航空機旅行(片道)一般公衆の線量限度(年間)(医療除く)300Bq/㎏の放射性ヨウ素31(飲料水,乳製品等の暫定規制値)が検出された飲食物を1㎏摂取した場合(成人)500Bq/㎏の放射性セシウム137(野菜,穀類等の暫定規制値)が検出された飲食物を100g摂取した場合出典:文部科学省「日常生活と放射線」、放射線医学研究所HP

元のページ 

10秒後に元のページに移動します

※このページを正しく表示するにはFlashPlayer9以上が必要です