FUKUSHIMAいのちの最前線
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546 2011年3月11日に発生した東日本大震災は、歴史上例をみない大惨禍であった。この大震災の特徴は、2点に尽きる。一つは、複合災害ということである。もう一つは、原子力発電所の機能停止に伴って発生した放射能汚染である。 わが国は、このどちらも参考になる前例を経験していない。ましてや、対応マニュアルもなかった。国民の誰ひとりとして考えてもいなかった規模と種類の災害が、現実に発生したのである。 この大惨事を前にして、われわれ医療従事者が、何を考え、どのように行動したのかを知ることは、今後の対策を考え、それを後世に伝えるうえでは欠かせない。その際に大切なことは、事実を、解釈抜きで提示することである。それができるのは当事者だけである。なぜなら、流した涙、汗、そして血を知っているのは当事者だけなのだから。 われわれは、この大惨事を、ただ、不幸なこととして後ろ向きに捉えるのではなくて、困難に打ち克つ機会と前向きに捉えるしかない。なぜなら、今、われわれに残されているのは“希望”しかないのだから。 大震災とそれに伴う原発事故発生後1年間が経過した今、現場では、直後の対応から、原状回復への努力、そして復興計画の策定と日々追われるように目の前の課題を前に悪戦苦闘している。 私自身の印象では、この間、現場は“見事”の一言に尽きる働きをした。泣き言を言うでもなく、黙々と求められる役割を果たした。それは、医療関係者に限らず、現場で対応した自衛隊、警察、消防、そして行政などの方々に対しても当て嵌まる。われわれは、言いたくても言えない、何も言わない人々の声を、今こそ、拾う努力をしなければならない。何故なら、そこにこそ将来に伝えたいことの多くが埋もれているからである。 私自身、当事者の一人として痛感したのは「地獄への道は善意の石畳で舗装されている(マルクス)」、そして「警鐘を鳴らす奴は、いつも安全なところにいる(セルバンテス)」である。もちろん、当事者も自分の知っていること、行ったことは全体像の一部にしか過ぎないということを認識したうえで、懼(おそ)れを持って伝える必要がある。 この誌上シンポジウムの執筆者は、皆当事者である。当事者だから伝えたいこと、当事者でなければ知らない、言えないことがある。それらの提示こそが、われわれが後世に伝えていくべきことなのである。この誌上シンポジウムが、今後起きる大震災に対してわれわれ医療人が知っておくべきこと、そして備えておくべきことを教えてくれると確信している。臨床整形外科 第47巻第3号〈2012年3月25日発行〉(医学書院)「シンポジウム大震災と整形外科医」掲載公立大学法人福島県立医科大学理事長兼学長 整形外科 菊地 臣一緒 言

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