FUKUSHIMAいのちの最前線
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540 福島第一原子力発電所で燃料損傷事故が発生した当初、福島県立医大被ばく医療班の業務の中心は、汚染や被ばくを受けた原発内作業者・危機介入者・避難住民の除染と救急医療だった。幸いにも急性放射線障害を伴う傷病者は認めず、時間経過と共に原子炉の冷温停止も現実となり、ここ数カ月は、高度汚染エリアで活動をした消防・警察職員や高線量環境での労働者等の検診、そして低線量被ばくを受けた住民へのリスクコミュニケーション(リスコミ)に業務が移行している。 これらの業務のうち今回は、住民向けのリスコミの経験を報告したい。 放射性物質の広域汚染は半径50㎞以遠にも及び、福島を含め日本各地で「被ばく」に対する不安が広がった。 事故直後は、大地震の影響と汚染状況の情報不足から住民向けのリスコミを行う余裕が職員になく、動揺から避難する者も現れた。学内が混乱する中で、長崎大の山下俊一先生をはじめとした他県の支援チームが現地に入り、職員向けの講演で「肝を据えて事態に当たれ」と、今やるべき道を我々に示した。これで職員は冷静さを取り戻し、目前の困難に対する行動を始めることができるようになった。支援チームは、高線量地域での講演を多数行い、原爆やチェルノブイリ事故等から得られたデータを基盤とした、科学的な情報共有と生活上の留意点のアドバイスを行った。 政府は大規模な原子力災害を想定していなかったため、初期の情報公開や対策・規制値の決定などの国策が非常に遅れた。このように混乱を極めた事故当初は、落ち着いて現実を直視させるための「クライシスコミュニケーション」が必要だった。この重要な役割を担った支援チームに対する自治体や地元紙の評価は高かったが、時間の経過と共に異常な事態へと突入した。 政府の初期対応の遅れを補うような形で、報道やインターネット上に様々な「専門家」が出現し、遠く離れた場所から被ばくに関する情報発信を始めた。書店入口には被ばく関連の特設コーナーが設けられ、情報を欲した福島の住民がそこに集まった。 科学的な情報にまぎれ、「想像」「感想」という主観的な情報も混じり、それに直面した住民は「何が正しいのか?」という不信感を増幅させた。次第に「危険」を謳う情報が「真実」で、「安全」を謳う情報が「誤り」という錯覚に陥り、「安心」を求めるための行動に「混乱」が生じた。その結果、正確な判断ができず情報に操られるように福島から避難する家族が増加した。「被ばくの影響」よりも、「情報の混乱」が不安を助長し、避難後も不安が完全に払拭されることはなかった。 さらに、突然政府から「年間20mSv以上の計画的避難区域」が発表されたことも混乱に拍車をかけた。日本医事新報 №4582〈2012.2.18〉「連載第4回 福島リポート」掲載福島県立医大被ばく医療班 佐藤 久志*情報化社会のリスクコミュニケーション 福島で暮らす放射線科医で、福島第一原発事故後に立ち上がった「福島県立医大被ばく医療班」の一員である佐藤氏が、リスクコミュニケーションの現状について報告します。*さとう ひさし 1993年福島県立医科大卒。同大附属病院放射線医学講座助教支援チーム「肝を据えて事態に当たれ」情報が混乱、不信感を増幅させる住民

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