FUKUSHIMAいのちの最前線
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536Code red全学放送の判断は、①原発オフサイトセンター救急隊医師からの緊急連絡、②テレビ報道での大爆発映像、③学内放射線モニター値の急上昇の三つの場合とした。 このことにより、「我々は危機的状況にあるが、そのリスクを十分理解し、万が一の場合も正確な情報を迅速に把握し、適切に対処することが出来る」との認識を全員が共有した。この「我々は、リスクを理解し、コントロールできる」という確信すなわちリスクコントロール感により、制御不能に陥っている福島第一原発から57㎞地点の「医療の砦」で一枚岩の医療集団として踏み止まり、この未曽有の大災害に対応することが可能となったと考えている。 幸いなことに、本学でCode Redが全館放送されることはなく今にいたっている。 3月11日に大地震は福島市をも襲い、多くの家屋が被害を受け停電・断水となった。大学職員とその家族も被災者である。職員が被災者であり、支援者でもあるという二面性にどう対応するかは社会貢献を理念とする組織のマネジメント上重要なテーマである。 基本的な指針は、「管理者は、職員が100%社会貢献に力を尽くせるよう支援する」ことと考えている。家族安否の確認、一時的帰宅による状況確認や場合によっては家族の避難などに必要な時間を与え、心置きなく職務に戻れるよう支援する。各部署責任者にもその旨を周知する。後顧の憂いを取り除かなくては、昼夜を問わない社会貢献に全力を傾注することはできない。 組織としても、一般外来休止、不急の予定手術延期など日常業務を大幅に軽減する。組織全体の余力がなくては、想定外の事態に対応することは出来ない。 多くの医学部看護学部生が大学に残り、ボランティアとして放射線スクリーニングなどの災害対応活動の補助を行ってくれた。自然発生的な行動であったが、原発状況が緊迫した時期に一旦解散とした。学生としてではなく、一社会人としての判断と責任で戻ってくる場合は受け入れることとした。ほとんどの学生が、一社会人としてボランティアを続けた。 福島第一原発制御困難により3月12日から政府・内閣による避難命令・屋内退避指示が発せられた。約2000名の避難区域内の入院患者・要介護者の退避が必要となった。 この避難期には、避難圏内入院患者・要介護者の後方避難中継基地として大学は機能した。昼夜を徹して緊急搬送された約180名の要介護者を、放射能スクリーニング後に一時保護し、重体患者に入院加療を行い、容態が許す患者は後方病院に転送した。実際の患者後方搬送は混乱を極めた。本学に伝えられる情報が混乱し、不正確であったためである。搬送される患者の人数も到着時間も搬送手段も不正確で、患者情報も全く不明というケースも多々あった。搬送される高齢患者が搬送中に死亡する事例もあり、多くは緊急の避難行動により病状を悪化させている。 緊急時利用可能な大スペースと看護学部教員という緊急時の看護力を有する人材を擁し、あらゆる疾患に対応できる総合医療人材と設備を有し、県内後方病院とも顔の見える連携をもつ大学病院ならではの、緊急時広域医療搬送中継機能といえる。しかし、膨大で困難な緊急対応もマニュアルに従ったわけではない。もともと、この想定外の事態に対するマニュアルは存在しない。一刻一刻変動する事態に対し、一人一人が自分の出来得る事を判断し、見事な連携で成し遂げたことに関しては、病者・弱者に対して出来る限りの力を尽くす医療人共通の使命感が各自の行動の基盤にあったと考えざるを得ない。避難所住民への高度医療支援 慢性期の避難所への医療支援にあたっては、特定分野の臨床医学研究者が地域に入り、大学の「知」が活きた例が見られた。「地域貢献・県民の健康安全安心」という大学の使命が確立していれば、あとは個々の大学人および専門診療科(講座)のアクションプランを承認し、支援することが大学本部の責務となる。各専門診療科独自で結成された「高度医療チーム」は、全県避難所で活動した。循環器内科、心臓血管外科、小児科、感染制御部、心身医療科のこころのケア、看護・保健支援などである。 心身医療科が中心となった「こころのケア・チーム」は、災害避難というストレスと放射線被ばくという特殊なストレスが共に関与するところの問題に対応する世界的にも特殊な活動となっている。支援病院が同時に被災病院である場合のマネジメント原発周辺からの退避期対応:患者後方搬送の中継基地として福島県立医科大学:東日本大震災・原発事故のリスクマネジメント、そして復興への展望

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