FUKUSHIMAいのちの最前線
471/608

第4章患者救済に奔走した活動記録〈論文・研究発表〉FUKUSHIMA いのちの最前線465日本航空医療学会(長崎)公立大学法人 福島県立医科大学附属病院小賀坂奈美,島田真由美,斎藤 由実,武藤 博子,西東 智恵,武田 嘉子,佐藤めぐみ,宮崎 博之DMAT参集拠点病院における複数ドクターヘリ受け入れ経験 震災後から3月15日までヘリ運航調整はDMATが中心となり行った。当院スタッフは通信司令室とDMAT本部と病院の調整を行いミッションがスムーズにいくように対応を行った。通信は、壊滅的な状態であったが、DMATのEMISや災害優先電話と無線、衛星電話が有効だった。少ない情報の中で各病院の状況把握や傷病者の情報、搬送病院の選定をし、域外搬送が行われた。複数のヘリを帰着させるため通常使用しているヘリポートではなく、大学のグラウンドを臨時ヘリポートとし、夜間照明設備の調整を行った。着陸は障害なく実施することができた。ヘリの活動である傷病者の域外搬送、孤立病院への医療スタッフ・発電機や医療資機材を投入するために、準備や対応、調整を行った。 道路交通網の寸断により、陸路搬送が困難な状況の中、ヘリによる空路搬送は非常に有効であった。壊滅的な通信状態の中、ヘリが対応できたのは、DMATが中心となって調整を行ったためであると考える。また、ヘリの調整がスムーズにいくためには通信司令室とDMAT本部、拠点病院との連絡調整は必須であり今回拠点病院のスタッフがその任務をサポートできた。拠点病院のスタッフはヘリの活動だけでなく、複数ヘリの運航がスムーズにいくように通信手段の確保や資機材の準備など多方面から調整していく必要がある。・ヘリの活動がスムーズにいくためには拠点病院スタッフによる通信手段の確保、連絡調整・資機材調達や準備などあらゆる面での調整が必須である。・ヘリの運航はDMATの指揮下で統制がとれた。・壊滅的な通信状態の中DMATの通信手段が有効であった。・ヘリによる活動は、域外搬送・孤立病院への医療スタッフや資機材搬送に有効であった。はじめに 東日本大震災に伴い、東北地方太平洋沿岸は津波による甚大な被害を受けた。当院は、院内災害対策本部を立ち上げるとともに、DMAT参集拠点病院となり受け入れ体制を整えた。全国から複数のドクターヘリ(以下ヘリ)も当院に参集した。福島県ドクターヘリを含め最大で9機のヘリが当院通信司令室の指揮下に入った。災害体制のなか通信司令室とDMAT本部および病院との調整を行いながら複数ヘリの受け入れ経験をしたので、報告する。活動の状況考察結語

元のページ 

10秒後に元のページに移動します

※このページを正しく表示するにはFlashPlayer9以上が必要です