FUKUSHIMAいのちの最前線
464/608

458福島県立医科大学附属病院 総合周産期母子医療センター新生児部門主任看護技師 小野 陽子新生児とその家族を守るために必要な災害時看護 突然の揺れに患者と面会中の家族の安全確保に必死だった。転倒しないように何かにつかまり、揺れに耐えた。幸い児や職員にけがはなく、建物の損壊や停電はなかった。ドアを開放し避難経路は確保したが、避難はせずに待機した。開放したことで寒い外気が入りこみ室温が低下し保温に努めた。地域の協力施設からの受け入れ準備や災害拠点病院としてのサポートを行った。その後も余震が続き勤務する職員を増員し対応した。 もっとも問題だったのが市内の断水による節水と節電、物流の途絶による物品不足への対応である。病院の通常の外来診療や緊急以外の手術は中止となり、家族の面会も制限された。通常診療に支障がでたことで母体搬送し県外での出産、治療をお願いした症例もあった。原発事故以降は、スクリーニングをしてからの入院受け入れや敷地内・中央配管の圧縮空気内のモニタリングを行った。 震災後の変化で感じている1つに家族背景の変化があげられる。両親が被災し、住居や職業の変更を余儀なくされている方もいる。避難先が県外の方もいて、面会頻度が少なくなってしまうケースもある。放射能に関しては多かれ少なかれ不安を抱えている。家族の方からは「県外に避難した方がいいのか」「母乳をあげているが食べ物に注意した方がいいのか」など、放射能に関する疑問や質問が寄せられることもある。 初期対策は揺れに備える耐震対策と児や家族の安全確保である。当施設では扉に耐震ロックをかけ、収納方法を改善した。施設の損壊や火災発生で避難が必要な状況になることも考えられる。職員が避難経路や搬送方法を周知するばかりでなく、避難グッズを整備し避難方法を家族にオリエンテーションし、面会中の家族に対しての備えが必要であると考える。 また、今回の災害のように被災地域が広域な場合、物流が滞り回復するまでに時間がかかる。NICUは他科と共有できる物品が少なく、独自であるものも多い。病院の物品の管理方法や備蓄量を確認し、NICUで必要なものを備えておくことも必要である。 幸いにして入院中の児の安全は保たれたが、家族には面会制限で離ればなれの期間をつくってしまった。しかたのないこととはいえ他にできることがなかったのか疑問は残る。現在は家族の状況を早くから把握するようにし、ソーシャルワーカーをまじえた退院調整カンファランスを開催し家族が安心して退院できるよう支援をしている。放射能に関しては情報を正しく伝えアドバイスしていきたい。 東日本大震災では私たちが体験したこと、現在体験していることを振り返り、災害時における看護について考える。1.地震発生時 (福島市の震度:震度5強の揺れ 揺れ時間120秒)2.地震から1週間4.今回の災害を振り返って3.現在

元のページ 

10秒後に元のページに移動します

※このページを正しく表示するにはFlashPlayer9以上が必要です