FUKUSHIMAいのちの最前線
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第4章患者救済に奔走した活動記録〈論文・研究発表〉FUKUSHIMA いのちの最前線447この時の対応で問題があり、受け入れ患者用の水・食料が確保されていなかったこと、スクリーニングで除染が必要な患者はいませんでしたが、放射線の知識不足から恐怖感がありました。3号機の水素爆発後、自衛隊機のピストン輸送で順次患者さんが搬送されてきました。13日3号機のメルトダウン受け入れの翌々日、学内の全体会議の伝達で、コードレッドの可能性、ヨード剤が追加で配布、N95マスク配布、可能な限り屋内退避の指示などがあり。そのため、原発より半径20㎞圏内にある医療施設より患者を受け入れるため、手術室看護師は応援にでました。避難指示地区の患者は当大学の看護学部実習室へ受け入れました。14日3号機の水素爆発とつづき、原発より半径30㎞圏内に屋内退避指示がでました。

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