FUKUSHIMAいのちの最前線
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440被災地の大学病院からの報告ケース2です。このケースは、津波により命は助かったものの、家が流され、所持品すべてを失ったケースです。この産婦は分娩停止、帝王切開目的で当院へ搬送になりました。家族も妊婦の搬送と一緒に福島市の避難所にやってきました。当病棟では避難患者全員に、母子に必要な物品について不足しているものはないか調査を行っていました。この産婦が全く何もないことは把握していたので、避難所にあるものはなるべく避難所から調達し、避難所で調達できなかったものを病院で準備して渡すことになっておりました。そのころ、避難所に、当院の小児科医師が巡回訪問を行っており、この産婦の家族が育児用品が全くないことを相談したことで、小児科巡回チームから物資の支援を受けることができました。帝王切開分娩でしたが、産褥5日目、県外の親戚宅へ退院しました。退院先の市町村へも担当助産師が新生児用品の支援などについて電話連絡をしております。妊産婦連絡票の送付はできませんでしたが、電話訪問を行い、順調に育児を行っているということでした。ケース3です。このケースは、地震による家屋の倒壊のため、避難所となっている公民館に、夫、1歳の長男、夫の兄弟と4人で自主避難しておりました。その近隣のクリニックより胎児発育遅延管理目的で紹介入院となった妊婦です。この妊婦は、入院当初から1歳の長男のことが心配で毎日泣いている状態であり、1歳の長男の面倒は夫がみていましたが、夫婦共に状況の変化に対処できずにいる様子でした。その避難所担当の市町村の保健師も支援が必要な家族であると認識しておりました。そのため、入院中から担当助産師とコンタクトをとり、出産後の住まいや育児用品など、母児および家族が安心して育児ができるように双方で準備を整えていきました。また、夫が仕事ができるように長男の育児ボランティアや保育所も検討しているとのことでした。3月下旬に出産し母が先に退院。児は低出生体重児であったため母より1週間ほど遅れて退院しました。妊産婦連絡票を避難先の市町村と住所のある市町村へ、未熟児訪問連絡票を住所のある保健福祉事務所へ送付しました。これは、避難患者に記入していただいた、退院先や必要物品の調査票です。日々、変わっていく患者個々の避難の状況を記載していきました。ケース2のように、家族が避難所で調達できたケースもあれば、避難所により、置いてある支援物資が異なっていて、調達できないものもありました。また、親戚やアパートを借りて避難している患者は、避難所からの調達がむずかしかったので、当院での支援物資などから準備しました。また、支援物資にはなく不足しているものは対策本部を通し購入し準備しました。避難所では乳児の衣類が不足しているという情報がありましたので、スタッフが持ち寄ったりもしました。また、退院後の住居については、体育館のような避難所に退院することのないように入院時から調査をしました。母子の受け入れ先については、福島県の場合は児童家庭課で担当しており、2人について相談しました。県外へ避難する場合の母子の受け入れの連絡先等についても、スタッフが情報共有できるように準備しておきました。また、避難所の家族の声を載せた新聞記事などを見て、県内外から、「自分のうちで面倒みますので、よろしかったら来てください」などという電話が病棟に入ったり、混乱のさなか対応にとまどった出来事もありました。私たちが行った母子支援のまとめです。入院中に必要な支援を行うためには、母子に関する情報と母子支援のために必要な情報を把握していることが必要です。母子に関する情報としては、特に、被災状況、退院後の住居、必要物品がそろっているかなどの情報が重要でした。支援のために必要な情報としては、避難所に関すること、母子の受け入れに関すること、ライフラインの状況、放射線に関すること、必要物品の調達に関することなどの情報が必要でした。これらの情報を、1日3回行われる対策会議などでできるだけ正確な最新の情報を得るように努めました。そしてそれらの情報を看護スタッフ、産科医師間で共有して母子の対応にあたりました。また、必要なケースには各市町村や避難所の関係職種と助産師が直接、または家族を通して連絡を取り合い対応しました。

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