FUKUSHIMAいのちの最前線
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第4章患者救済に奔走した活動記録〈論文・研究発表〉FUKUSHIMA いのちの最前線439これは、津波の被害と放射性物質の広がりをしめしたものです。これはだいぶあとになってから公表された汚染マップです。直後にはまだ、避難指示が半径何キロ以内というように示されていました。第一原発から北西方向の地域に汚染が強度の赤や黄色が多いのがわかります。福島医大は原発から60㎞の距離にあります。そして、避難患者の受け入れは3月11日から始まりました。3月26日までの日々の搬送患者数は資料をご覧下さい。3月11日から3月26日までの避難患者の受け入れ数は新生児2名を含む23名でした。搬送手段は救急車16名、ヘリ1名、自家用車6名でした。3月11日から3月26日までの分娩件数は18件で、そのうち避難患者の分娩件数は10件で帝王切開は6件でした。避難患者の母子支援の実際について事例を紹介しながら述べます。ケース1は帝王切開術後当日に搬送された母児です。このケースは原発より10㎞圏内の病院に妊娠高血圧で入院中でした。3月12日に10㎞圏内の避難指示が出されたころに陣痛発来し、ヘリを要請しヘリがむかいましたが間に合わず、その病院で帝王切開分娩されました。そして、術後管理目的に当院へ搬送されました。混乱した状況のなかでの出産で、術直後から避難を余儀なくされたケースでした。出生証明書も発行されておらず、出産した病院の医師に連絡を取り後日発行しました。幸い産褥経過も新生児経過も良好で早く退院し避難したいという患者の希望を優先し、産褥6日目に県外の親戚宅へ退院しました。退院時は医師の紹介状を持参しました。当院では通常ですと、問題があると思われるケースに、居住地または里帰り先の市町村保健センターへ妊産婦連絡票という看護紹介状を送付しております。今回のような非常時にはどのケースにも退院後の支援は不可欠であったと考えます。しかしこの時は、どこへどのように支援を依頼するのかなど支援の手立てがわからなかったことと、スタッフも混乱の中にあり、どのような方策をとったらよいかなどの検討ができなかったため継続的な支援につながらなかったケースです。

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