FUKUSHIMAいのちの最前線
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第4章患者救済に奔走した活動記録〈論文・研究発表〉FUKUSHIMA いのちの最前線433「原発事故の直後、風評被害から医薬品や食料が福島に入って来なかった時が一番困りました。そんな中、長崎大学の緊急被ばく医療チームは恐れることなく福島に駆けつけ、支援を続けてくださっています。まず、これを皆さんに知っていただきたい」 中嶋由美子副病院長兼看護部長は、取材に対してこう切り出しました。地震そのものによる被害は大きくはなく、建物の損傷もほとんどなかった福島医大病院。入院患者の給食分は備蓄していたものの、当初は職員の食料が足りず、持ち寄った米で学生ボランティアらがおにぎりを作り、それを一人あたり1日2個程度配ってしのぐという状況でした。道路網が分断されたわけではないのに、初めて物資が届いたのは3~4日後。風評被害によって物流が途絶えてしまったのです。 一方、3月13日には、文部科学省の要請を受けて長崎大学の緊急被ばく医療の専門家チームが出発。長崎大学は長く被ばく医療に実績を持ち、チェルノブイリ原発事故での調査や現地での医療も経験しています。派遣されたチームは医師1人、看護師2人、放射線技師1人、放射線生物学・防護学教授1人の5人。うち看護師2人は放射線専門看護師養成コース修士2年。長崎大学にしかないコースであり、かつ2人とも大学病院で臨床に携わっています。 いったん、千葉にある放射線医学総合研究所(放医研)で情報収集し、自衛隊のヘリで14日に福島に到着。14日に福島入りしてからも、原発の状態は悪化していました。はじめは、福島医大病院を拠点としてスクリーニングで線量が高いと言われた方の2次スクリーニングを行おうと体制を整えていました。しかし、状態の悪化に加え16日に原発作業員の傷病者発生の一報が入り、スクリーニングだけでなく患者を受け入れる今の体制となりました。その際、ヘリに乗って傷病者搬送に携わったのも長崎大学チームの看護師でした。 今回お話を伺った橋口香菜美さんは放射線を専門とし、当初に福島入りした看護師の1人で、その後も福島医大病院の支援に当たっています。 福島医大病院は、当初、混乱していました。除染棟を備え、マニュアルが整備され、毎年訓練は行っていたものの、除染棟は普段は使わない施設であり医薬品等も常時は配置していません。それを実際に稼働する緊急被ばく医療の拠点「被ばく医療棟」に整備しなければなりません。なにより、同院全体がすべての外来と予定の手術を中止し、全国の 3月11日の東日本大震災によって引き起こされた福島第一原発事故。想定を超えた原発事故はいまだに収束せず,大きな不安が拭えません。現場に最も近く,かつ県内唯一の大学病院として原発災害医療の拠点となっているのが福島県立医科大学附属病院(以下,福島医大病院)です。被ばく医療では先端を行く長崎大学や広島大学と連携協定を結んで,誰も経験したことのない原発災害に備えています。長崎大学の放射線を専門とする看護師を交え,看護部がどのような動きをしてきたのかご紹介します。看護情報誌ティアラ 特別号2011.12(ニプロ㈱)掲載被ばく医療の拠点として奮闘公立大学法人福島県立医科大学附属病院 副病院長兼看護部長 中嶋 由美子がん放射線療法看護認定看護師 上澤 紀子さん長崎大学病院放射線部看護師、長崎大学大学院医歯薬学総合研究科保健学専攻放射線専門看護師養成コース2年(修士) 橋口香菜美さん福島第一原発に最も近い大学病院長崎大学の緊急被ばく医療チームが事故直後の福島へ1日2回の会議で被ばく医療班が情報共有左から、中嶋副病院長、上澤看護師、橋口看護師(長崎大学)

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