FUKUSHIMAいのちの最前線
417/608

第4章患者救済に奔走した活動記録〈論文・研究発表〉FUKUSHIMA いのちの最前線411です。 06年に福島県立医大に移ったときも、附属病院の外に出て、地域で診療し、次世代の医師を育てるという私の考えを、菊地臣一現理事長に理解していただきました。県内各地に、ホームステイを含めて、後期研修ができる拠点を整備しています。 私が考える家庭医とは、マクウィニー先生のいう“患者中心の医療”の方法を理解し、それを実践できる医者のことです。単に「患者さんの話をよく聞く」というようなレベルではなく、それ以上の、専門的な訓練を必要とするものなのです。 患者の話を聞く、診察する、検査をオーダーする、診断する、薬を処方する…。そのためにはEBM(エビデンス・ベースト・メディシン)を理解し、使いこなすことが必要です。患者の苦しみや自分の置かれている状況に対する理解を探るには、NBM(ナラティブ・ベースト・メディシン)を実践することも必要です。さらには患者だけでなく、家族や地域全体まで含めて考えていくことも大切です。個人、家族、地域のニーズに応じて、自らの診療、役割、能力を自在に変えていける。それが家庭医なのです。 家庭医養成を始めてから、北海道で15年、福島で5年が経過しました。私の下で研修し、家庭医として巣立って行った人たちは、患者中心の医療の方法を実践できていると思います。世界各国から来日する家庭医たちも、彼らの志の高さや診療レベルに感銘してくれます。それがとてもうれしいです。 災害時には救急医療ももちろん必要です。しかし高度な医療を必要とする人は全体からすればわずかで、プライマリケアを必要とする人が多いのです。ところが東日本大震災では、原発周辺でプライマリケアを担っていた医療従事者の多くが、地域からいなくなってしまった。医療を必要とする全ての人が3次医療機関に集中してしまったため、混乱が生じ、病院の医療スタッフは疲弊してしまいました。 私は県と大学の対策本部から要請され、原発から20~30km圏内で、自力での移動が困難な人を探し出してケアするという任務を受け持ちました。自衛隊、行政、消防、保健師さんなどとチームを組んで、自衛隊の車で巡回しました。4月4日にスタートし、ドーナツの半分の形をした該当地域を1週間で全部回り、医療や介護が必要な人を探しました。地域住民の健康状態が分からないので、介護保険や国民健康保険の記録と突き合わせたり、さらには住民からの「近所に認知症のお年寄り夫婦がいる」といった情報を頼りに訪問したりしました。 結局、実際に入院が必要だったのは4人。うち1人は褥瘡が悪化して敗血症になりかけていた人。別の1人は粟粒結核で排菌もしていました。残りの2人は、栄養状態は悪いけれど状況が許せば家庭医でもケアできる程度でした。入院は必要ないが継続的なケアが必要と判断された人に対しては、翌週以降も継続的に巡回して対応しました。 時間の経過とともに、やらなければならないことも変化していきます。避難所が閉鎖されて別の場所に移った住民の健康管理、新学期に伴い首都圏などから戻ってきた子どもたちの心のケアなど、まさに、“ニーズに応じて自らの役割を変える”という家庭医としての仕事が必要とされたのです。短期、中期、そして長期に分けて、地域住民にどんな医療やケアが必要なのか、地域の保健師さんや行政の担当者などの意見も聞きながら、計画を立てていきました。家庭医療の方法論を身に付けていてよかったと、心から思っています。 復興支援の一環として、これからは地域住民の健康づくり、病気になりにくい体づくりのお手伝いもしていきたいと考えています。先週1週間は、県内各地で“ゆる体操”講習会を行いました。ゆる体操とは、ふくらはぎや首の後ろ側をマッサージしたり、全身をさすったりして、体をゆるめてリラックスするための体操です。正指導員の資格を持つ歌舞伎俳優の尾上菊之助さんも避難所や病院を訪問し、ゆる体操を指導してくれました。次は、子どもたちを元気づけるために、豪日協会の協力を得て、福島の子どもたちとオーストラリアの同年代の子どもたちとの交流を企画しているところです。�(聞き手:北澤京子)東日本大震災で地震、津波、さらに原発事故に見舞われた福島県。復興支援に現在も駆け回る。カナダ・ウエスタンオンタリオ大学での研修中。左端が家庭医療学教授のイアン・マクウィニー氏。右から2人目が葛西氏。この7月に、北海道家庭医療学センター15周年記念同窓会が開かれた。葛西氏は前列中央。右隣はウエスタンオンタリオ大家庭医療学教授のトーマス・フリーマン氏。

元のページ 

10秒後に元のページに移動します

※このページを正しく表示するにはFlashPlayer9以上が必要です