FUKUSHIMAいのちの最前線
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410 医学部進学を目指す頃から、医師の原型のように感じ、将来は家庭医になりたいと考えていました。そこで、1990年から2年間、カナダのブリティッシュ・コロンビア大学に留学し、レジデントとして家庭医療学のトレーニングを受けました。 研修中に選択科目として、自由に学ぶ機会が与えられました。『A Textbook of Family Medicine』を読み、そこに書かれている“患者中心の医療”の考え方と実践に感銘を受けていた私は、ぜひとも著者であり、ウエスタンオンタリオ大学の初代家庭医療学教授であるイアン・マクウィニー先生に学びたいと思い、指導教授に手紙を書いてもらいました。 しばらくして、先生から直接「待っているから来なさい」と書かれた返事をもらい、さっそく出かけました。飛行機の到着が遅れて夜中になったのですが、先生はバスターミナルで待っていてくださり、自分で車を運転してご自宅まで連れて行ってくださったことを覚えています。 それから1ヵ月間、月曜から金曜まで毎日、2~3時間は先生と過ごし、一緒に先生の本を読んでディスカッションをしました。週末は、先生のご自宅で奥様の手料理を頂きながら、ディスカッションの続きです。 実は、マンツーマンで教わるのは初めの2週間だけの予定でした。ところが私の滞在中に、先生の義理のお父様が亡くなられたため、台湾への出張がキャンセルになり、結果的にまるまる1ヵ月間、教わることができたのです。世界中に先生の教え子がいますが、こんなに濃密に教わったのは、後にも先にも私しかいないんですよ。 先生から、「日本に家庭医を養成するシステムがないのなら、作ったらいい」とアドバイスされ、白分のやるべきことはこれだと確信し、92年に帰国しました。 帰国後、川崎医大の総合診療部に籍を置いたのですが、大学附属病院では地域に広がる活動ができません。家庭医療を実践するため、何とか地域に出たいと思っていたら、北海道室蘭市で日鋼記念病院を経営していた医療法人社団カレスアライアンスの西村昭男理事長(当時)から「こちらでやってみないか」と誘われ、15年前に同法人に北海道家庭医療学センターを作りました。 カナダで家庭医療のトレーニングは受けましたが、研修プログラムを作った経験はなかったので、初めは試行錯誤でした。でも幸いなことに、世界の家庭医の仲間が、カリキュラムを見せてくれたり励ましてくれたりして、その応援がとても支えになりました。それもあって、研修を受けに来た若い医師には、積極的に海外の家庭医療の現場を見てくるよう勧めています。世界標準の家庭医療とはどんなものなのかを自分の目で確かめてもらいたかったからNikkei Medical 2011.8「ヒーローの肖像 PORTRAIT」掲載福島県立医科大学 地域・家庭医療学講座主任教授 葛西 龍樹*世界標準の家庭医療を福島で実践 大災害からの復興支援に奮闘中*かっさい りゅうき氏1957年新潟県生まれ。84年北大卒。同大小児科を経て、90年カナダ・ブリティッシュ・コロンビア大家庭医療科レジデント。96年カレスアライアンス北海道家庭医療学センター所長。2006年福島県立医科大学地域・家庭医療学講座教授。10年より現職。「こんな医者になりたい」という理想が家庭医だった。カナダ留学で身に付けた家庭医療を北海道、そして福島で実践。震災後は原発30km圏内を巡回、地域に根を張った支援を続ける。30代でカナダに留学、“家庭医療学の父”と呼ばれるイアン・マクウィニー教授の薫陶を受けた。地域の中に入って診療・教育をしたいという思いが募り、96年に北海道家庭医療学センターを設立する。

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