FUKUSHIMAいのちの最前線
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第4章患者救済に奔走した活動記録〈論文・研究発表〉FUKUSHIMA いのちの最前線391 2011年3月11日14時46分,三陸沖を震源とする巨大地震,東日本大震災が発生した.そして,これに伴う巨大津波により多くの人命が奪われた.さらに,福島第一原子力発電所の事故により福島県は広範囲に及ぶ放射性物質の汚染に曝され,原発周囲の住民は避難を余儀なくされている.本稿では,これらの災害時における後方支援病院としての福島県立医科大学附属病院の対応を述べ,大学附属病院の麻酔科医が広域災害において果たす役割について考える. 1 本院の概要と初動体制 福島県立医科大学附属病院は,県内唯一の医科大学附属病院であり,病床数778床,30診療科を有する総合病院で,1988年竣工の10階建てである.1日の平均入院患者数は約630名,1日平均外来患者数は約1,500名である1).救命救急センターにも指定されており,東北では唯一のドクターヘリを装備している.福島県北中部に位置しており,福島第一原発からは57㎞の距離にある.手術部は10階建て病棟に隣接する外来・中央診療棟(3階建て)の3階にあり,手術室は12室,年間の総手術件数は約5,500件,うち主として全身麻酔,脊髄くも膜下麻酔で行われる麻酔科管理症例は約4,000件である.8床の集中治療部が手術部と同じフロアーに隣接しており,主として術後患者を年間約600症例収容している. 今回の地震のマグニチュードは9.0で,宮城県栗原市で震度7を記録したが,福島県内の震度は,南部や東部太平洋岸で6強,本院のある北中部,西部で6弱であった2).ちなみに,1995年の阪神・淡路大震災,2004年の新潟県中越地震,2007年の新潟県中越沖地震のマグニチュードと最大震度はそれぞれ7.3と7,6.8と7,6.8と6強であり,震度は今回の震災と同様であった.ただ,それぞれの発生曜日,時刻は火曜日午前5時46分,土曜日午後5時56分,祝日月曜日午前10時13分であり,休日や診療前の早朝に発生している3).今回の大震災は近代本邦で初めて平日の就業中に発生した大規模地震ということになる. 本院では,当日1,345名の外来受診患者があり,要 旨 2011年3月11日に発生した東日本大震災は,広範囲の大地震とそれに引き続く巨大津波によって甚大な被害をもたらした.さらに,福島県では東京電力福島第一原子力発電所の事故によって放射線汚染が広がり,多くの住民が避難を余儀なくされた.福島県立医科大学附属病院では,麻酔科医として,地震発生直後は麻酔中患者の安全確保に努め,その後は被災者,特に重症患者の受け入れ態勢を整備した.さらに,二次被ばく医療施設として,原発内の被ばく・負傷作業員らの除染・治療体制を整備した.今後,今回の経験を踏まえて,院内体制はもちろんのこと,県内の災害時医療体制の整備,災害医療の教育,研修体制を整備する必要がある.臨床麻酔 vol.35/№12〈2011−12〉(真興交易㈱医書出版部)掲載大学病院の立場から村川 雅洋* 五十洲 剛 飯田 裕司 根本 千秋福島県立医科大学医学部麻酔科学講座麻酔科医が広域災害に果たす役割Key words:麻酔科医,広域災害,大学病院*Masahiro MURAKAWA〒960-1295 福島市光が丘1番地 福島県立医科大学:理事(兼)附属病院長はじめに1.東日本大震災と対応

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