FUKUSHIMAいのちの最前線
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第4章患者救済に奔走した活動記録〈論文・研究発表〉FUKUSHIMA いのちの最前線389くる患者をいったん受け入れ,放射線スクリーニングを行うとともに,全身状態をチェックした.移送に耐えられないと判断される患者はそのまま入院させた.数日間で175名の患者を受け入れ,125名は期間の長短はあるが,入院のうえ加療した. 3.避難住民の医療支援 退避圏内の入院患者の移送がひと段落し,本院の水道も復旧したころから,避難所における巡回診療を開始した.すでに,全国の医師会や日本赤十字社などから多くの医師が支援に入ってこられていたため,本院ではこれらの医師と連携を取りながら,不足しがちな小児科・耳鼻科・眼科診療や感染制御,心のケア,超音波診断装置を駆使した深部静脈血栓症や心疾患のスクリーニングを全県的に展開した.これには,ヨルダンやタイからの国際的な援助もいただいた. 初期の救急医療や原発事故対応,避難所巡回においては,とくに行政機関との情報交換が不可欠であった.本院では初期救急医療から県の災害対策本部医療班とともに活動したDMATを,県から災害医療コーディネーターに任命していただき,継続的に連携して行動するようにした.また,本学教員を県災害医療調整医監に任命していただき,県の災害対策本部の一員としてそれらを束ねる役割をもたせた.県全体の医療支援体制は図3のように構築され,情報の共有化と役割分担の明確化が図られた. 1.院内の災害対策 今回の震災は地震そのものによる被害は阪神淡路大震災ほどではなく,津波による被害が大きかった.病院としては,①耐震化,②自家発電設備などのインフラ整備,③食糧・医薬品などの備蓄が肝要である. 耐震基準をクリアしていれば病院そのものが倒壊する可能性は低いと思われるが,揺れ対策としてキャスター付きベッドの導入,医療機器のチェーン固定,陶器の食器廃止などを考慮すべきである. 本院ではインフラの整備として水道の確保が急務であり,井戸の設置や調整池,浄水装置の設置などが考えられる.また本院は,住宅地とは別の系統で電源供給を受けていたため,今回は停電しなかったが,自家発電とそのための燃料の備蓄は必要である.電源喪失時の対策として,電子カルテのサーバを病院間でもちあうことなども提唱されている.エレベーターの停止に備えて,患者や給食を搬送する手段も考慮しておく必要がある.本院でも余震によるエレベーターの停止が給食配膳時に重なり,職員総出でバケツリレーのように階段を使用して配膳を行ったことがある. 患者用の食糧の備蓄はもちろんであるが,職員用の食糧にも配慮する必要がある.流通機能が麻痺すれば,職員も容易に調達できるものではない.また,医療従事者の被災,交通インフラ破壊に備えて,職員の滞在場所の確保や職員数減少時の医療体制整備も必要である. 2.防災訓練 通常,病院全体では防災訓練が行われていると思われるが,福本ら3)の報告によると,手術室独自で行っている施設は多くない.また,花木ら4)や伊藤ら5)によると,災害を想定した定期的な避難訓練は災害に対する意識の向上につながる.本院では病院全体の訓練とは別に,毎年1回手術室で災害避難訓練を行っていた.また,新潟県中越沖地震の教訓をもとに,今回の震災のおよそ半年前にDMATの参集訓練を行った(図4).それらのことが今回の震災で,迅速に対応できた一因ではないかと思われる.今後も継続して,より意識を高めた訓練を継続していきたい. 3.福島県医療の復興 原発事故は関係各位の努力によって収束に向かっているとはいえ,最終処理には相当長時間を必要とする.さらに県内では,飛散した放射性物質が低濃度とはいえ堆積している.このような環境にある県民の健康管理調査を県から本学が委託され,開始している.また原発の安定化に伴って,避難地域が徐々に縮小される方向にある.住民の帰還には,離散した医療施設の再興も必要となる.国や県と協力して,このような地域の医療を再構築しなければならない.われわれは,もう一度安心して暮らせる福島県行政との連携今後の課題図4 DMAT参集訓練 2010年9月25日に福島市で本院を中心に東北のDMAT参集訓練が行われた.

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