FUKUSHIMAいのちの最前線
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386後方支援病院の経験から週刊医学のあゆみ vol.239№11「災害医療──東日本大震災の経験に学ぶ」掲載村川 雅洋 Masahiro MURAKAWA福島県立医科大学附属病院病院長,同麻酔科学Our experience of the 2011 Great East Japan Earthquake and subsequent Fukushima Daiichi nuclear power plant accident 2011年3月11日14時46分,三陸沖を震源とする巨大地震,東日本大震災が発生した.そして,これに伴う巨大津波により多く人命が奪われた.さらに福島第一原子力発電所の事故により,福島県は広範囲に及ぶ放射性物質の汚染に曝され,原発周囲の住民は避難を余儀なくされている. 本稿では,これらの災害時における後方支援病院としての福島県立医科大学附属病院の対応と,今後の課題について述べる. 1.本院の概要と初動体制 福島県立医科大学附属病院は県内唯一の医科大学附属病院であり,病床数778床,30診療科を有する総合病院で,1988年竣工の10階建てである.1日の平均入院患者数は約630名,1日平均外来患者数は約1,500名である(2009年度)1).救命救急センターにも指定されており,東北では唯一のドクターヘリを有している.福島県北中部に位置しており,福島第一原発からは57㎞の距離にある. 今回の地震のマグニチュードは9.0で,宮城県栗原市で震度7を記録したが,福島県内の震度は南部や東部太平洋岸で6強,本院のある北中部,西部で6弱であった2).ちなみに1995年の阪神淡路大震災,2004年の新潟県中越地震,2007年の新潟県中越沖地震は,マグニチュード7.3,最大震度7,マグニチュード6.8,震度7,マグニチュード6.8,震度6強であった.それぞれの発生曜日,時刻は,火曜日午前5時46分,土曜日午後5時56分,祝日月曜日午前10時13分であり,今回の大震災は近代日本ではじめて平日の就業中に発生した大規模地震ということになる.また太平洋岸の津波は,まさに未曽有の規模であった. 本院では当日1,345名の外来受診患者があり,入院患者は642名であった.発災時どれだけの外来患者が院内に残っていたかは明らかでないが,外来患者はいったん病院の正面玄関にあるロータリーに避難させた.無事を確認した後,頻繁に強い余震が続くため速やかに帰宅させた.入院患者は余震が続くものの移動が困難な患者も多いため,手術中の患者を除いて,いったんそれぞれの入院病室に戻らせて無事を確認した.外来やリハビリテーション部門(1~2階)に出ていた患者はエレベーターが停止した(震度5以上で自動停止し,再稼働には安全点検を必要とする)ため,担架で上層階に担ぎ上げる必要があった.また,心臓カテーテル検査(放射線部門は1階にある)を終了してエレベーターで移動中に東日本大震災時の病院診療◎2011年3月11日に東日本大震災と,それに引き続く東京電力福島第一原子力発電所の事故が発生した.福島県立医科大学附属病院は地震発生後ただちに,入院・外来患者ならびに職員の安全確保を行うとともに,被災者,とくに重症患者の受け入れ態勢を整備したが,断水と流通物資の不足により,一般外来診療や手術・透析の制限などを余儀なくされた.さらに二次被ばく医療施設として,原発内の被ばく・負傷作業員らの除染・治療,退避地域からの転院患者の受け入れと域外搬送,避難住民の放射性物質汚染スクリーニングも行った また,避難所における小児科診療や感染制御,超音波診断装置を駆使した深部静脈血栓症や心疾患のスクリーニング,心のケアなども継続して行っている.今後も県民全体の健康管理を含め,地域医療の再構築をなし遂げ,安心して暮らせる福島を取り戻す使命が課せられている.このあらたな使命を達成すべく,医療人としての誇りをもって歩を進めていきたい.Key words:震災,災害医療,原子力発電所事故,急性被ばく医療

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