FUKUSHIMAいのちの最前線
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第4章患者救済に奔走した活動記録〈論文・研究発表〉FUKUSHIMA いのちの最前線377第22回日本頭頸部外科学会総会ならびに学術講演会 プログラム予稿集 掲載福島県立医科大学附属病院副病院長 大森 孝一福島県立医科大学耳鼻咽喉科地震・津波・原発事故における災害医療 東日本大震災において約2万人の方が行方不明あるいはお亡くなりになりました。心からご冥福をお祈りいたします。これまで、日本頭頸部外科学会や全国の多くの方々から心温まるご支援の手紙やご援助をいただきました。ありがとうございました。 福島県では地震、津波、原発事故がたて続けに発生し、自分たちも被災者の立場でありながら、時々刻々変化する現場の状況に即応した対策を瞬時に判断し、膨大な医療ニーズに対応しなければなりませんでした。今回の災害においては、福島医大は最前線というよりは前線基地の役割を果たしたと考えられます。地震国日本の全国各地には原発がありますので、会員の皆様に広く情報を共有していただく必要があると感じています。 3月11日14時46分、大地震発生時には私は大学の教授室にいましたが、ただごとではないと直感しました。災害対応は初動が大切と思い、ただちに災害対策本部(災害医療対策部)を立ち上げて大学病院の被害確認と救急体制構築に奔走しました。地震の被災者を受け入れていたところ、東京電力第一原発の水素爆発により東海岸の浜通りで多くの避難民が発生し、避難入院患者が救急車やヘリコプターなどで殺到してきました。放射線サーベイ、除染、空間線量測定が始まりました。本院は災害拠点病院であり全国からDMAT(Disaster Medical Assistance Team)が応援に来られ、また原子力災害第二次緊急医療専門施設であり広島大学や長崎大学などからREMAT(Ra­diation Emergency Medical Assistance Team)が来られました。 震災から3週間は病院では水や食料品や薬品や油が底をつきそうになりました。水の供給が止まると、病院機能、特に透析、生化学検査、滅菌洗浄、患者食調理、トイレ、手洗いに大きな支障がでました。知人や友人を介して物資を分けていただき、風評被害でトラックが福島県に入りたくない時期に持ってきていただきました。おかげさまで、前線から一歩も引かずになんとか持ちこたえることができました。 ライフラインが復旧した時点で県内各所の避難民医療支援として、エコノミークラス症候群、小児科・感染制御、耳鼻咽喉科などのチームが巡回診療を開始しました。全国からはJMAT(Japan Medical Associ­ation Team)が避難所に来ていました。耳鼻咽喉科のニーズとしては、咽喉頭炎、アレルギー性鼻炎、鼻出血、耳垢などで、乾燥している施設では加湿器が喜ばれました。 4月から病院では通常診療を開始し、5月に大学の入学式を行いました。福島市は第一原発から60㎞離れており、放射線線量は低下傾向で一応原発は収束の方向を向いているようです。避難を勧められている地域以外では平穏に通常の生活をしています。7月には伝統行事の野馬追い、8月には夏祭りや花火大会が行われました。現地に数日でも住んでみると事情がおわかりになると思います。9月以降は大学では県民健康管理調査を行い、甲状腺超音波検査を実施しています。 このたび復興への大きな一歩として、第22回日本頭頸部外科学会を平成24年1月26日、27日に予定通り開催の運びとなりました。皆様のご支援に心より感謝いたします。福島県立医科大学震災特設ページ http://www.fmu.ac.jp/index_shinsai.php福島医大のアメリカ人医師からの発信 http://cbbstoday.org/nollet_fukushima.php

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