FUKUSHIMAいのちの最前線
378/608

3721.大地震当日 2011年3月11日(金)、14時46分。地震発生時、私は臨床研究棟5階の耳鼻咽喉科学講座の研究室にいました。これまで感じたことがないビルが折れて倒れるような揺れが5〜6分間続きました。書棚の本や書類がどんどん落ちてきて、書棚が倒れそうになったので押さえていました。廊下に出ると、隣の講座から、水道管が破裂して水が流れ出る音がしていました。また別の方向からは、ガスが漏れるようなシューという音が聞こえてきました。後になってガスではなく冷暖房の送気管の破裂によるエア漏れであることがわかりました。1階まで階段で下りて中庭からビルを見上げると、余震の度に建物が揺れているのが見えました。 病院長室に直行し、ただちに災害対策本部(災害医療対策部)を設置しました。まず、入院患者、外来患者、職員の安否と、設備の被害状況を調べました。外壁の亀裂、水漏れ、天井の破損、床のひび割れ、空調吹き出し口落下が報告されましたが、幸い人的被害はないことがわかりました。エレベーターがストップしましたが中に閉じこめられた人はいませんでした。 入院患者は病室へ、外来患者は病院の外へと誘導、搬送しました。手術中の患者は中断できるところで終了することを指示し、夕方には無事全員退室できました。15時46分、全館放送にて、人的被害がないこと、大きな物的被害はないこと、ライフラインの状態、救急患者のトリアージの場所を全病院職員に知らせました。 18時30分、災害対策本部で今後の対応について救急科医師、看護部や事務部の担当者とミーティングを行いました。電気、ガスは供給されていることを確認しましたが、上水道の供給停止の知らせが入りはじめに 2011年3月11日発生の東日本大震災にて、津波などにより約2万人の方が行方不明あるいはお亡くなりになりました。心からご冥福をお祈りいたします。日本耳鼻咽喉科学会福島県地方部会では会員の中に地震や東京電力福島第一原発事故により大きな物的被害に遭った方もいましたが、不幸中の幸いで人的被害はありませんでした。2004年12月26日にインドネシアで起こった大地震と津波の映像を見て、自然の脅威と生命の大切さを心に刻んでおりましたが、今回の現実を目の当たりにして再び深い悲しみを感じるとともに、一瞬の判断が生死を分けることがあり、これらの情報を広く共有する必要があると感じています。 これまで日本耳鼻咽喉科学会、日本耳鼻咽喉科医会、国際耳鼻咽喉科学振興会、日本頭頸部癌学会、日本頭頸部外科学会をはじめ、全国の多くの方々から心温まるご支援の手紙やご援助をいただきました。心より感謝いたします。1010「美蕾」№104〈2011年12月20日発行〉(千寿製薬㈱美蕾編集室)掲載日本頭頸部外科学会の福島開催を東北復興への大きな第一歩に─目の前の現実に即応した活動を着々と─福島県立医科大学医学部耳鼻咽喉科学講座教授 大森 孝一〔福島県立医科大学附属病院副病院長 第22回日本頭頸部外科学会会長〕3.11共有すべき記憶〜復旧から復興へ〜大地震発生からこれまでの対応について地震直後の教室

元のページ 

10秒後に元のページに移動します

※このページを正しく表示するにはFlashPlayer9以上が必要です