FUKUSHIMAいのちの最前線
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第4章患者救済に奔走した活動記録〈論文・研究発表〉FUKUSHIMA いのちの最前線365このときは既に多くの方々から支援物資を頂戴しており、これらの物資を持って、巡回に当たりました。点眼液、緑内障学会からの点眼見本、使い捨てコンタクト、遠近眼鏡、眼鏡ケース、診療機材など非常に有用な支援を頂きました。この場を借りて御礼申し上げます。この頃にはやっとSPEEDIからの情報も公開されるようになりましたが、当時の説明では参考値であると言うことで、この地図がどういう意味合いを持つのかはあまり触れられませんでした。しかし振り返ってみると相馬市の医療援助には、放射能が飛散した地域を通って援助に行っていたことがわかります。幸い被害はありませんでしたが、放射能災害時の医療援助に当たっては考慮すべきだったと考えてます。福島医大からは放射能避難の隣接地区へ医療援助に向かい、それなりの成果はあったと思いますが、被曝のリスクを伴っており配慮すべき点であったと考えます。今後は被曝隣接地域への一般医療援助に関しては、どのような条件で行うか?どのような装備が必要かなど、条件や装備の整備が必要だと思います。各地の避難所においては、各地区の眼科医会の先生および診療所単位でも避難所の巡回が開始されました。いわき市の木村先生は診療所を開放され、ロービジョンの方にも手厚い援助をおこなわれました。この経緯に関しては、秋の臨床眼科学会において木村先生がまたお話しになられます。次は慢性期の対応です。避難所は県内のほとんどの公共施設にもうけられました。福島医大では内科、小児科、眼科、耳鼻科、泌尿器科とチームを組み主にいわき市での巡回診療も行いました。

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