FUKUSHIMAいのちの最前線
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第4章患者救済に奔走した活動記録〈論文・研究発表〉FUKUSHIMA いのちの最前線363次は原発事故対応と退避患者対応についてお話しします。福島原発では、震災の1時間後から既に、炉心冷却機能が失われ、放射能災害が始まっておりました。そして12日、14日には水素爆発が起こり被害が拡大しました。経過を振り返りますと、震災は14時46分に起こり、1時間後には原発の全電源が喪失し、その日のうちに半径3kmの避難指示が出されています。この差し迫った状況の中、近隣の医療機関には全く連絡がありませんでした。このときの対応を原発から3.2kmにある双葉厚生病院院長の重富秀一先生が回想されています。非常に印象的な言葉でしたので紹介させていただきます。先生は「テレビのニュースだけが唯一の情報源であった」とおっしゃっています。原発に最も近く、原発事故に際しては、優先して通報されるべき医療機関に全く連絡が無かったと言うことです。翌12日の病院の退避に当たっても全く詳細の説明は無かったとのことです。原子力災害が起これば住民の方にとってよりどころとなる、医療機関が防災情報網から全く外れているということは今回の災害で最も象徴的な出来事であったと思います。3月12日には被曝の疑いがある患者が既に福島医大を受診しました。その後も被曝疑いの患者さんは受診されましたが、大学では治療を要する方のみのスクリーニングが行われました。治療の必要の無い方は保健所に回っていただくことになりました。また当初より、被曝医療を行う必要性に迫られましたが、経験のある医師は1名もおらず対応には苦慮しました。3月16日になりますと広島、長崎大学からREMAT(緊急被ばく医療支援チーム)が到着し、本格的な被曝医療が展開されました。3月12日15時36分 1号機水素爆発3月14日11時01分 3号機水素爆発

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