FUKUSHIMAいのちの最前線
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356日整会広報室ニュース 第86号(公益社団法人日本整形外科学会)掲載福島県立医科大学医学部 整形外科学講座教授 紺野 愼一東日本大震災と福島第一原発事故に対する福島県立医大の活動状況について 2011年3月11日東日本大震災が発生しました。福島医大の地震による人的被害は幸いありませんでした。施設被害は軽微で、断水が8日間ありました。そのため外来は休止し、定期手術も休止となりました。超急性期は災害用に特化して医療業務が行われました。福島県立医大では、DMAT(災害派遣医療支援チーム)35チーム、約180名と福島医大医師、学生、研修医が地震被害患者の救急医療に従事しました。 福島第一原子力発電所の1号機の爆発が起きたのが3月12日、3号機の爆発が起きたのが3月14日で、福島第一原発は制御不能となりました。3月11日21時23分に半径3㎞以内の避難が指示され、3月12日11時20分には半径10㎞以内の避難指示、3月12日21時は半径20㎞以内が避難指示、そして3月15日15時半には半径30㎞以内が屋内待避指示となりました。そのため、避難患者の搬送、入院が必要となり、混乱の中での撤退作戦が行われました。3月11日に相双地区への診療応援に行っていた2人の教室員は病院の職員とともに徹夜で業務を行ってくれました。半径20㎞以内で約1000名、半径30㎞以内で約1000名、合計2000名の避難が必要となりました。県外搬送と被曝スクリーニングを福島医大が行うことになりました。中継搬送患者175名を受け入れ、うち入院が125名でした。被曝のスクリーニングは約500名で、うち除染が必要となった人が10名でした。整形外科は外傷患者の治療が速やかに行えるよう、全国の医療器のメーカーの協力を得て、外傷治療に必要な手術器械を集め、24時間体制で待機していました。震災2週間以降は、避難民への対応が行われました。広域の医療緊急支援として、高度医療緊急支援チーム、そして地域家庭医療チームの二本柱で避難民の対応を行いました。原発事故対応としては、高度被曝者11名の除染と3名の入院、そして被災者放射線サーベイを必要とした人は約500名でした。菊地学長を中心とした情報の共有と指示機関の一本化が今回の事故の対応として極めて重要なポイントとなりました。すなわち、福島県防災対策本部と福島医大が連携を取り、各自治体や自衛隊との窓口を一本化し、情報を共有化できたことが混乱のない対応に不可欠だったと考えます。 基礎医学講座、研究所、看護学部など全学からの協力が得られました。環境放射能測定は24時間体制で行われました。さらに、患者移送、介護、外来患者トリアージ、総合案内、住民サーベイランス、炊き出しボランティアが全学で行われました。整形外科の教室員は誰一人離れることなく、淡々と業務を行ってくれました。これは、私にとって最も誇れることです。 現在、第二の放射線被害である風評被害が起きています。小児学童に対する放射能の不安から福島から子供がいなくなるという不安があります。物流に関しては、災害地への物流が遮断されている地域があります。医療看護は、実際、他県から福島県への派遣が躊躇されているということが起きています。農作物に関しては価格低下が起き、工業製品に関しては放射線検査の要求があり、観光業に対しては海外や国内観光客のキャンセルが相次いでおります。学校は活動行動指針が明確にまだ示されていない部分があります。そんな中で、長崎大学と広島大学を始めとする全国の医療機関からの応援は私達にとって非常に心強く感激しております。 福島県では災害はまだ全く収束しておりません。今後の課題として、原発における大中小規模事故災害の対応、避難地域拡大に伴う患者搬送支援、長期化する避難民の健康管理、福島県全体の地域医療再構築、そして福島医大の学生、職員、患者などの心と体のケアが必要と思います。 最後に、札幌医科大学の山下敏彦教授や新潟大学の遠藤直人教授、福島県立医科大学の半場道子客員講師を始め、たくさんの義援金をお送りくださった皆様方に深謝致します。

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