FUKUSHIMAいのちの最前線
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第4章患者救済に奔走した活動記録〈論文・研究発表〉FUKUSHIMA いのちの最前線305菊地臣一・福島県立医科大学学長に聞くから、地域の病院はなおさらでしょう。 福島県以外では放射線事故の問題は、終わったことなのかもしれません。国は、「予算を付けた。後はやってくれ」と思っているのでしょう。その意味で、今までも大変でしたが、福島にとってはこれからがもっと大変です。この認識のギャップを埋めるためには、福島県の政治家、行政を含めて大変な努力が必要でしょう。予算が付いたから、そこに様々な関係者が集まる。しかし、少ない人的資源、限られた予算の中で、最大限の効果を発揮するにはどうすればいいかを考えて、実行していくのはかなりの修羅場です。 また、避難している県民はまだたくさんいます。これから生活の場、仕事の場を見つけていかなければいけない。元通りにはならないが、「元よりもいい」環境を作ってあげることが、国や県、東京電力の責務であり、それが償いでしょう。「福島医大復興ビジョン」にも書きましたが、「福島県にいれば長生きできる」、高い給与がもらえる仕事があり、生活が楽になるという環境を作る。我々大学はその一部の手伝いをするという立場です。「福島の復興はこれから」です。──この1年は現状を把握するだけで大変であり、目の前の問題に順次対応されてきた。ようやくここに来て、4月から様々なものを立ち上げ、中長期的な視点に立って物事ができるフェーズになったと言えるのでしょうか。 そうです。「遅い」「何をやっているんだ」とよく批判されます。しかし、当事者から一言言わせていただければ、「こんなに早く、この人数でこれだけ頑張った」ことを褒めていただかないと。広島、長崎の健康調査が立ち上がったのは、1957年のこと。チェルノブイリも事故から5年後です。福島は5カ月後。しかも、職員はほとんど増えていない。当然、人はたくさん倒れています。退職した人もいる。そうした時に、「大変ですね」「ご苦労さまでした」との一言は欲しい。大学も県の職員も土日曜日も休めない状態ですから、現場で対応している職員を預かっている身としては、本当によくやっていると思います。平常の業務に加えて、震災対応をしているわけです。それを遠くの方で、「安全」な場所から非難されても、と思います。──前回お伺いした時には、「先が見えない」とお聞きしました。 もう先は見えています。今は、あらゆる困難が目の前に立ちはだかりますが、それを一つひとつ解決していく段階です。──最後にお聞きしますが、全国の医療者に対して理解してもらいたいこと、伝えたいメッセージがあればお願いします。 現場の医療人はそれぞれの人生観に照らして、ベストを尽くしている。このことを理解していただきたい。労いや称賛、そうした一言でも現場の方にとっては励みになります。それは原発事故の収束作業に当たっている作業員も同じでしょう。そしてそれぞれの立場で、できることをできる時に、できるだけ応援してもらえれば、と思っています。

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