FUKUSHIMAいのちの最前線
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第4章患者救済に奔走した活動記録〈論文・研究発表〉FUKUSHIMA いのちの最前線299リスク・コミュニケーションの重要性こに多くの人の努力や苦労があるのではないか、われわれはそれをみていないのではないか、みてこなかったのではないかと思うのです。たとえば、われわれが子どものころには停電がありましたが、今の人たちは停電を知りません。でも、その停電をなくすために、どれだけの人間がどれほどの努力をして、24時間勤務しているのか。そういうことに国民の何割が思い至っているのでしょうか。原子力発電所の事故だって、むしろよくぞここまで持ってきた、あるいは、この短期間でここまで安定化させたと。初めての経験を、機械の寄せ集めでシステムを作り、何とか動かしてここまで持ってきたわけですから、私は科学者の端くれとして日本人はやはりすごいと思います。ですから、日本人はもう一度リスクというものにあらゆる面で向き合って見直すことが、結果的には世界のリスク管理につながっていくと思うのです。──日本が蓄積した知恵があります。菊地 日本人はやはり農耕民族で、何とかハーモニーを保ってリスクを管理してきました。どちらがいいとか悪いではなく、どちらも正しいのです。そうであれば、日本のスタイルを狩猟型には変えられないのだから、われわれが新しいリスク管理のあり方を提言することに、非常に大きな歴史的価値があると思います。──そこに光が見えるような気がしますね。菊地 今までは戦いが前提、暴発が前提というところがあったと思うのですが、その一方で安寧、安定が前提としてのリスク管理が提言されてもいいのではないでしょうか。それは多分、アングロサクソンの人には極めて新鮮かつ驚きを持つものであって、何も別々にやっている必要はないので、そこで統合すれば、東洋型でも西洋型でもない全く新しいリスク管理が生まれるのではないかと思います。──ある意味では文明ですね。菊地 そうですね。そのきっかけになりそうな予感を、この事故発生以来、ずっと持っています。──次世代を担う人々は、この際、何を学びとるべきでしょうか。まず、医学生、研修医、あるいは現在医療に携わる人たちに、これを契機にどんなことを考えてほしいとお考えでしょうか。菊地 わが国は有事に対しては不備なので、福島モデルを作成しましょうということです。それから、先ほど言ったようなことですが、指揮命令系統の混乱があるので、やはりリーダーシップを発揮すべきで、安心と安全の峻別をする必要があります。また、困難に直面したときに、それを「悪いこと」と捉えるか、「自分を鍛える機会」と捉えるかによって随分違います。これが私の結論です。──一般の人たち、大きく言えば国民に、この機会に何を語りたいですか。菊地 難しいですね。本音を言えば、やはり自分のことは自分で守るしかないのです。そのために勉強もしなくてはなりません。つまり、自分の安全を他人の手に委ねてはいけないのではないかということです。それは別に批判ではなく、行政が100%の安全を提供して、住民に100%の安心を与えることは不可能なのです。それは、コストが無限大だからです。そうなると、最低限自分のことは自分で、身の回りの安全を確保するための努力が必要なのではないでしょうか。これは今回の経験で自分自身にも言い聞かせていることです。 ただ、そのときに、世間については行政がセーフティネットを張るべきです。社会のセーフティネットは行政が張るべきですが、一人ひとりの安全はやはり自分でまず心掛けないと成立しないでしょう。それがあって初めて行政のセーフティネットワークが生きるのです。たとえば東京の高層マンションの30階に住んでいて、エレベーターが止まったとき、いずれは助けに来てもらえるでしょうが、それまでの間、きちんと自分の生活を維持するのは自分の責任です。──おっしゃるとおりでしょうね。菊地 これは例え話ですが、やはり個人個人が原子力災害を契機に、もう一度リスクに対する安全をどう担保するか、考えた方がいいのではないでしょうか。それを総体的に下支えするのが行政のネットワークなのだと思います。�(聞き手 盛 宮喜)困難は自分を鍛えるチャンス

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