FUKUSHIMAいのちの最前線
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298原発災害に立ち向かう(下)──先ほどのお話を聞いて確認したいのですが、海外からも国際的に人を集めるにはどのようにしていけばいいのでしょうか。菊地 まずはWHOやIAEA(International Atomic Energy Agency:国際原子力機関)などに声を掛けますが、とにかく最初の突破口として、9月11、12日に当大学で国際会議を開き、世界の優秀な学者を国内外から呼んで、サイエンスに限定した議論をします。それが第一歩になると思います。当然、ここのデータを求められますので、山下先生を中心に作ったセンターで資格審査を受けていただき、それに通った人が情報や設備を使用し、調査に参加できるようにしたいと思います。──早速着手なさるわけですね。菊地 日本財団から、経済的な支援のお申し出がありました。日本財団はチェルノブイリ原発事故の際にも支援されていて、今回も会長の笹川陽平氏がこちらにいらっしゃいました。──災い転じて福となすという意味では、福島県、あるいは県立医大に次世代へ遺産を残すチャンスが来たということですね。菊地 そう思います。──具体的に何を残せばいいのでしょうか。菊地 リスク管理だと思います。世界と比べると、特に日本は今まで調和型でした。私も含めて、リスクを回避していたともし批判されたら、甘んじて受けなくてはならないのだと思います。やはり第三者がみれば、想定外と言っても、今考えると、想定をしていた人も数は少ないながらいました。その人たちは、今の原子力に対する考え方や対応、予防策を大いに批判する資格があると思います。しかし起きてから、ああだこうだと後追いで言うのはフェアではありません。それなら孤立を恐れずにきちんと言うべきだったのです。われわれは、これだけ原発を抱えていてリスクを回避していなかったのかという問いに対して、ノーとは言えないと思います。ですから、せめてこれを機会に、原発に限らず、リスク管理というものを日本に定着させていかないといけません。 それは、戦争も含まれるかもしれません。言霊の国ですから、平和、平和と言っていればいいかというと、残念ながらそうはいきません。世の中には絶え間なく争いもあり、このような困難もあり、予期しないことが起きます。誰もこんなことは望んでいませんが、望んでいないから何もしなくてもいいというように進んできた面が、少なくとも戦後の日本にはあったのではないでしょうか。特にここまで来てしまったのは、やはり「見たくないものは見ない」に徹していたからではないかと思うのです。逆に言うのならば、他にも火を噴きそうなリスクが日本にないのか、リスク管理という視点でもう一度見つめ直すと、この事故は日本に限らず、世界の文明史観の転換点になるような気がしています。──今回は「未曾有」と「想定外」という考え方で免責にしようというような感じがないでもありませんが、畑村洋太郎(原発事故調査委員会委員長)先生は「想定外を考えるのが専門家である」とおっしゃっています。菊地 実は日本人の知恵、英知がそうしなくてもいい世の中を作ってきたのです。つまり、アメリカは自由ですが、その裏で、自分の安全は自分で守らなければなりません。ところが、日本は極めて安全です。──島国で、安全な国であることは確かですね。菊地 安全は、一つは秩序、あるいは調和ですから、出る杭は打たれるというマイナス面もあります。ただし、日本の場合は新幹線をみてもわかるように、自分たちの経験や知恵でそのリスクを防いできました。ですから、ひょっとしたら、あの原子力発電所も完全にMade in Japanだったら、こんなことにはならなかったかもしれません。残念ながら原発を造ったのはかなり前で、それをずっと運転させてきたのは、新幹線や交通事故に対する国としての対策と比べると、やはり甘かったのではないでしょうか。新幹線は5分ごとに走っていて、まだ一度も事故が起きていない、脱線も起きていない、今度の震災でも何の事故も起きていないことと比べると、原子力安全対策は本当に同じだったのでしょうか。つまり、今われわれがリスクとして感じていない分野は、そ次世代へのメッセージ日本の技術の復権9月に福島医大で初の国際会議

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