FUKUSHIMAいのちの最前線
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294原発災害に立ち向かう(上)ノウハウはだれも持っていない、ガイドラインもない、マニュアルもない、という中でどう行動するかといえば、ひとえに瞬間の判断で拙速でやるしかないのです。──世間一般でいう「拙速」という言葉とは少し意味が違うような気もします。私の解釈では、「拙」はあり得るけれども「速」、スピードが重要だということですね。菊地 そうです。迅速な判断です。──ここで政治に少し触れたいのですが、菅政権の対応は、今の先生とはまるで違うような気がします。率直に言って、われわれは常時監視しているわけではありませんが、組織を随分作ったが、どこが何をしているのかわかりません。国民には簡単に「こうすればいいのです」「政治家が責任を持ってこうやりますから」と言ってくれればいいのですが、それが見えない。菊地 私は「拙速」で間違いないと思って、あえて「迅速」とは言わないのですが、たとえば福島を中心に考えた時、われわれのチーム、あるいは本学や県はその方向性を間違わなければよいのです。行き方は様々ですが、全く逆の方向に走ってしまう流れが少しでもあると、それは足を引っ張るので問題ですが、トップの責任は明確な方向性の提示だと思います。──そうですね。菊地 細かい部分は現場に任せておけばよいのです。極端なことを言えば、たとえば東京方面に逃げると決めて、逃げる手段として飛行機で行こうと、ヘリコプターで行こうと、船で行こうと、歩いて行こうと構いません。それは現場がその現場の状況で判断すべきであって、現場を知らないトップが判断してはいけません。 第一線の現場感覚とトップが持つ現場感覚があって、それは全く意味が違うわけです。そこを一緒にしてしまいがちですね。確かに、今の市町村の首長さんたちは本当に偉いと思います。やはり現場から離れられないというか、現場に直面しているから立派です。ただし、その現場感覚をそのまま上の人が持つべきだとは思いません。 トップの現場感覚は方向性でいいのです。情報を集約化しているわけですから、そこから結論として大まかな方向性を出して、その方向に沿った手段に関しては、第一線に任せればいい。それも現場感覚です。現場感覚といっても、自分が今置かれている立場や地位で少し意味が違うと思っています。──戦場では、中隊長、小隊長と司令官が一緒ではいけないわけですね。司令官は戦略を示して、現場で戦う際には小隊長などの指示に従う。菊地 それが戦術です。それを一緒にすると、現場は非常にやりにくくて混乱します。ですから、トップが現場へ視察に行くのが本当にいいかどうかと言うと、冷徹に考えれば私はナンセンスだと思います。──現場の感覚や、大所高所もあると思いますが、逃がすのは現場の村長さんなどが決めればよいのですね。司令官の示す方向性としてもう一つ、未来がありますね。菊地 危機に立ったときには、未来に対するメッセージを同時に発しなければいけません。そこで私が言ったのは、「われわれは次の世代に向けて、すべての事実を正確に記録して残す」ということでした。もう一つは、この困難に打ち勝つことが、個人としても地域としても社会としても、新しい次元の社会に結び付くはずだから、「福島の悲劇を福島の奇跡に変えよう」というメッセージを発信しています。やはり希望を与えないと駄目なのです。「大変ですよ、しかし安心しなさい」と言うだけでは、人は生きていけません。先の見える忍耐はできますが、先の見えない苦労はだれもできないのです。これは、医療人であれば常に感じることで、「○月○日に退院できますよ」「○月○日になったら歩けますよ」と言われれば、みんな我慢できますが、いつベッドから離れられるか、いつ退院できるかわからないと、患者さんはおかしくなります。先の見える我慢はできますが、先の見えない我慢は駄目なのです。 ですから、今であれば、政治家は希望的観測でもいいから、今ある情報のすべてを集めて、避難した方々が戻れる時期、区域を明確に示すことが必要だと思います。そこで間違ったら責任を取ればいいのです。その覚悟があれば、間違った責任を取ろうと第一線とトップの現場感覚の違い未来に対するメッセージ

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