FUKUSHIMAいのちの最前線
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第4章患者救済に奔走した活動記録〈論文・研究発表〉FUKUSHIMA いのちの最前線289福島医大学長・菊地臣一氏に聞くつにない雰囲気で、緊張感がありました。覚悟を決めてきているわけです。それを肌で感じました。だから、今年入学した学生には期待しているのです。 最初にお話ししましたが、若い学生たちに講演した際、心構え的なことも話しています。今の困難を「悪いこと」と捉えず、「自分を鍛える機会」と考え、克服する。そのことが自分の成長につながるのではないか。「誇り」と「自負」を持って、挑戦してほしい、がんばってほしいということです。 また、嫌というほど、毎日、味わっていますが、世の中がヒステリックになると、一言一句、言葉尻だけを捉えて、攻撃してくる人がいるのです。マスメディアも含めて。「“正義”を背に他を難ずる者の言は、いつの世も空しい」と、日本近世美術史家の狩野博幸氏は言っています。当事者にしてみれば、辛いのです、“正義”を背にして言われると。確かに“正義”は正しいのですが、それをすべてその場で実行できるか。それはあり得ません。 セルバンテスが「ドン・キホーテ」で書いたように、「警鐘を鳴らす奴は、いつも安全なところにいる」。これも真実で、評論家は外からはいくらでも言えます。でも、当事者は、それらをすべて聞いてはいられません。 さらに、先ほど、「衆議独裁」を言いましたが、「勇気とは、決して恐怖の不在ではなく、恐怖を感じつつも威厳を持って前進する能力」(スコット・トゥロー)、それがリーダーに求められるものだと思うのです。正直、「なぜこんなことが起きるのか」と思うこともありますが、「人は人生が配ってくれたカードでやっていくもので、カードが悪いと愚痴をこぼすものではない」というのが学生へのメッセージです。これは職員に対しても、言いました。 京セラ相談役の伊藤謙介氏の本に書いてあったのですが、「人生ではどうすることもできない困難に直面することがある。そのような時に、泣き叫んでみてもどうしようもない、ただただ、じっと歯を食いしばり、耐えながら乗り越えていくしかない」。今回はまさにそうです。困難に直面した時に、泣き叫んでも問題解決にはなりません。非難、中傷にも耐えながら、己の信じることをやっていくしかありません。誰かがやらないと動きません。自分が取った行動は、歴史の評価に委ねればいいと思うのです。 だから、なかなか大変なのですが、本学の職員にはすべてのことを記録してくれ、と言っています。起きたこと、やったことを、解釈を入れずに正確に記録する。それを次の世代に伝える。そこから失敗も、成功も、評価されるからです。それらを次の世代に引き継ぐことが我々の役割の一つではないかと、皆に話しています。 もっとも、震災直後は修羅場ですから、記録している人はあまりいませんので、思い出して書いてもらっています。英雄的な働きをした人も、また逃げてしまった人もいます。それはそれで記録する。ただ、写真が意外とない。撮影している余裕がなかったのでしょうね。──事情は違いますが、岩手県と宮城県、そして福島県について、関係者は皆、「今後の支援は長期戦」と指摘されています。最後に、全国の医療者に対してのお願い、あるいは何かメッセージがあれば、お願いします。 長期の支援が必ず必要です。一番大事なのは、支援は無理をして、負担になっては続かないということ。「自分のできる範囲で、自分のできることを、自分ができる時に」、支援していただければと考えています。

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