FUKUSHIMAいのちの最前線
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第3章放射能との闘いFUKUSHIMA いのちの最前線253別冊化学2012 Part3「奮闘する科学者たち一現場を駆ける!」福島県立医科大学宍戸 文男,田勢 長一郎,佐藤 久志,宮崎 真,長谷川 有史,大津留 晶福島県立医科大学における緊急被ばく医療 筆者の勤務する福島県立医科大学附属病院には,1999(平成11)年に起こった東海村JCO臨界事故後,被ばく医療対策整備事業(平成11年度補正予算)のひとつとして,さまざまな計測機器を備えた緊急被ばく医療施設が2001年に完成していた。原発事故などでの被ばく・汚染患者の対応をすべく,福島県原子力防災計画の中で,二次被ばく医療機関として,「初期被ばく医療または第二次緊急被ばく医療施設での除染が十分でない場合または相当の被ばくが推定される場合に本学に移送されて,入院診療を行う」役割が「福島県緊急被ばく医療活動マニュアル」*1に規定された(2003年5月)。また,学内では2002年5月に,「被ばく医療活動マニュアル」*2を定めて,毎年1回の福島県が行う原子力防災訓練に2001年から参加していた。2007年8月25日には,第11回緊急被ばく医療フォーラムが福島市にて開催され,安定ヨウ素剤の取り扱いについての現状と課題が話し合われた。2007年10月23日に行われた原子力防災訓練には,安定ヨウ素剤の配布を想定した訓練を行っている。 福島県は首都圏に電力を供給する役割を担い,原子力発電所2箇所10基で発電を行っていた(東京電力の約2割が福島県からの電力である)。この見返りとして,各種の補助金,核燃料税などを受け取り,万が一の体制として,緊急被ばく医療体制(図1)が準備されていた*3。 福島県立医科大学では,ことが起こると福島医大緊急被ばく医療班として,18名の専門医療チームを構成することになっていた。リーダー(放射線科部長),サブリーダー(救急科部長),医師が2名(救急科,放射線科),看護師が5名(看護部),放射線技師が7名(放射線部),事務職員が2名(医事課)の構成である。 福島県内では,初期被ばく医療機関として県立大野病院,双葉厚生病院,今村病院,福島労災病院,南相馬市立病院が,二次被ばく医療機関として福島県立医科大学が指定されていた。三次被ばく医療機関は東日本地区が放射線医学総合研究所,西日本地区が広島大学である*4。 大震災発生翌日の3月12日には緊急被ばく医療棟の使用の準備を進めた。本来なら,大熊町の福島県原子力災害対策センター(オフサイトセンター)のもとに組織される原子力災害合同対策協議会(医療班)からの情報により活動するはずであるが連絡はまったくなかった。指導・助言を受けないまま被ば 2011年3月11日14時46分に起こった東北地方太平洋沖地震(M9.0)とそれに続く津波により,福島県浜通りにある東京電力福島第一および第二原子力発電所が大きな被害を受けた。地震直後は原発の非常時の基本である「止める」「冷やす」「閉じ込める」を実行できたが,その後の津波は想定外の大きさ(15m)となり,福島第一原子力発電所(以下,福島第一原発と略)では非常電源を含めて電源が確保できず(全電源喪失)冷却不能となり,核燃料棒の破損と溶融,水素発生による水素爆発が起こり建屋は損壊,原発から放射性物質が放出されレベル7という原子力事故災害を引き起こした。原子力災害に対する二次被ばく医療機関に指定されていた福島県立医科大学附属病院は,想定外の事故災害の対応に追われることとなった。本稿では,福島県立医科大学における緊急被ばく医療の経過と,この対応をとおして筆者が感じたことを紹介する。福島県原子力防災計画と緊急被ばく医療体制福島県立医科大学における緊急被ばく医療

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