FUKUSHIMAいのちの最前線
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第3章放射能との闘いFUKUSHIMA いのちの最前線213子炉制御不能となり炉心融解(メルトダウン)を起こし,3月12日に1号機が,3月14日には3号機が水素爆発,東北~関東地域に高度放射能を含む粉じんが飛散した(図1)。 3月11日午後8時50分には原発から半径2㎞以内に避難指示が出され,午後9時23分には半径3㎞,12日午前11時20分には半径10㎞,午後9時には半径20㎞,と避難指示範囲が拡大された。さらに,3月15日には半径20~30㎞内に屋内退避指示が出された。その後,緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(system for prediction of environ-mental emergency dose information: SPEEDI)のデータや現地での実測結果などから,4月22日には葛尾村,浪江町,飯舘村,川俣町の一部および南相馬市の一部のうち,福島第一原発から半径20㎞圏外の地域が「計画的避難区域」に設定された。さらに6月16日には,「計画的避難区域」外で年間の積算放射線量が20ミリシーベルトを超えると予測される地点が特定避難勧奨地点に指定され,住居単位で避難先確保などを支援する方針が決定した(図2)。10月11日時点での福島県の被害は,死者1,846名,行方不明者120名。家屋の全壊18,007棟,半壊52,001棟,一部破損144,586棟。福島県内で18,464名,県外で35,892名が避難生活を送っている。 この災害では,地震による建物などの倒壊に伴う外傷患者,津波による被災者,避難指示区域内入院患者の域外搬送,ならびに原発事故処理に従事する東京電力関係者の被曝および事故など,多様な医療対応が必要となった。福島県立医科大学は福島県が設置する公立大学法人であること,災害発生直後よりDMAT(disaster medical assistance team)拠点に指定されたこと,第2次緊急被曝医療専門施設であったことなどから,福島県における地震・津波・原発事故という複合災害における医療の中核として機能することとなった。本稿では,この複合災害の急性期を振り返り,福島県内の医療体制の状況と,その中で本学がとった医療体制,ならびに現在進行しつつある健康調査の概要を紹介する。 幸い,学内では仙台で合宿中の運動部の部員が軽い怪我をした程度で,その他学生・患者・職員には大きな人的被害はなかった。施設も建設後20年以上経ていたにもかかわらず,その被害は軽微であった。電気の供給は停止しなかったが,ダム近くで取水管の損傷が起き断水が8日間続いた。 震災直後2週間の超急性期~急性期は,通常外来診療や定期手術は停止し,災害医療に特化して活動した。35のDMATチームが全国から福島県立医大に集合し,県内各地の災害医療支援に向かった。県内および近県の救急車やドクターヘリも福島県立医大に集合した。大学内では,附属病院の医師・看護師・技師・事務職員はもとより,医学部・看護学部教官,研修医,学生ボランティアなどが災害医療に地震による被害と福島県立医大の対応図2 福島第一原発事故に伴う避難地域

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