FUKUSHIMAいのちの最前線
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204福島県立医科大学医学部放射線科1 福島県立医科大学医学部救急科2福島県立医科大学医学部緊急被ばく医療班3宍戸 文男1,3 田勢長一郎2,3 佐藤 久志1,3宮崎 真1,3 長谷川有史2,3Key words:東日本大震災,原子力事故災害,緊急被ばく医療体制,放射線被ばく,放射能汚染Surgery Frontier Vol.18 №4 2011「特集大震災後のよりよい医療の復旧・復興を目指して」掲載緊急被ばく医療体制と東電原発事故災害への対応および今後の課題 2011年3月11日(金)午後2時46分に起こった地震(M9.0)と,それに続く津波により,福島県浜通りにある福島第一および福島第二原子力発電所が大きな被害を受けた。地震直後は福島第一原子力発電所は原発の非常時の基本である「止める」「冷やす」「閉じ込める」が実行できたが,その後の津波は想定外の大きさ(15m)となり,非常電源を含めて電源が確保できず(全電源喪失),冷却不能となり,原子炉からの放射能の放出という原子力災害を引き起こすこととなった。原子力災害に対する二次被ばく医療機関に指定されていた福島県立医科大学附属病院はその対応に追われることとなった。 私の勤務する福島県立医科大学附属病院には,1999年に起こった東海村JCO臨界事故後の対応として,2001年にさまざまな計測機器を備えた緊急被ばく医療施設が完成していた。原発事故などでの被ばく・汚染患者の対応をすべく,福島県原子力防災計画のなかで,二次被ばく医療機関として,「初期被ばく医療または第二次緊急被ばく医療施設での除染が十分でない場合または相当の被ばくが推定される場合に本学に移送されて,入院診療を行う」役割が「福島県緊急被ばく医療活勤マニュアル」1)に規定された(2003年5月)。また,学内では2002年5月に,「被ばく医療活動マニュアル」2)を定めて,毎年1回の福島県が行う原子力防災訓練に参加していた。 このような経過があったことから,3月12日には緊急被ばく医療棟の使用に備えて,準備を進めていた。被災直後の数日は20~30㎞圏内の避難民と原発内の関係者の対策が中心であったが,15日からは60㎞離れたわれわれ自身の被ばく・汚染の問題も考えざるを得ない状況となった。しかし,テレビ・ラジSummary 東日本大震災により,福島県浜通りにある福島第一原子力発電所が大きな被害を受けた。原子力災害に対する二次被ばく医療機関に指定されていた福島県立医科大学附属病院はその対応に追われることとなった。 福島県立医科大学附属病院には,2001年にさまざまな計測機器を備えた緊急被ばく医療施設が完成していた。また,「福島県緊急被ばく医療活動マニュアル」(2003年5月),「被ばく医療活動マニュアル」(2002年5月)を定めて,毎年1回福島県が行う原子力防災訓練に参加していたので,被ばく・汚染患者の発生に対応する準備を整えた。3月15日の午後3時頃から雨が降りはじめ,核医学に設置されているモニタリングポストのモニターの警報により福島市への本格的放射能汚染を知った。15日以降は,人数は少なかったが原発内での汚染を受けた傷病者(12名)の対応におわれた。福島市では,3月15日~17日,3月22日に放射能の飛散が認められたが,その後は,新たな放射能の飛来はなく,地表面のセシウム汚染が定着した状態となり,空間線量率の高低が話題となり,汚染ならびに被ばくの評価と対応に関する問題が重要となった。 原発立地の福島県「浜通り」地区は,まず一般地域医療の整備が必要であり,緊急被ばく医療だけの問題ではない。このような観点からも,早急な緊急被ばく医療ネットワークの再構築,現行の再確認などが重要と思われる。はじめに緊急被ばく医療体制

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