FUKUSHIMAいのちの最前線
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第3章放射能との闘いFUKUSHIMA いのちの最前線203第14回日本内視鏡低侵襲脊椎外科学会 JESMISS2011 低侵襲脊椎外科の正義を考えるプログラム・抄録集掲載公立大学法人福島県立医科大学医学部整形外科学講座 教授 紺野 愼一東日本大震災・福島原発事故の中での医療活動−対応と今後の課題− 2011年3月11日東日本大震災が発生した。超急性期は災害用に特化して医療業務が行われた。福島県立医大では、DMAT(災害派遣医療支援チーム)35チーム、約180名と福島医大医師、学生、研修医が地震被害患者の救急医療に従事した。福島第一原子力発電所の1号機の爆発が起きたのが3月12日、3号機の爆発が起きたのが3月14日で、福島第一原発は制御不能となった。3月11日21時23分に半径3㎞以内の避難が指示され、3月12日11時20分には半径10㎞以内の避難指示、3月12日21時は半径20㎞以内が避難指示、そして3月15日15時半には半径30㎞以内が屋内退避指示となった。そのため、避難患者の搬送、入院が必要となり、混乱の中での撤退作戦が行われた。半径20㎞以内で約1000名、半径30㎞以内で約1000名、合計2000名の避難が必要となった。県外搬送と被曝スクリーニングを福島医大が行うこととなった。中継搬送患者175名を受け入れ、うち入院が125名であった。 被曝のスクリーニングは約500名で、うち除染が必要となった人が10名であった。環境放射能測定は24時間体制で行われた。さらに、患者移送、介護、外来患者トリアージ、総合案内、住民サーベイランス、炊き出しボランティアが全学で行われた。現在、第二の放射線被害である風評被害が起きている。小児学童に対する放射能の不安から福島県の人口が激減している。医療看護は、実際、他県から福島県への派遣が躊躇されている。農作物に関しては価格低下が起き、工業製品に関しては放射線検査の要求があり、観光業に対しては海外や国内観光客のキャンセルが相次いでいる。今後の課題として、原発における大中小規模事故災害の対応、避難地域拡大に伴う患者搬送支援、長期化する避難民の健康管理、福島県全体の地域医療再構築、そして福島医大の学生、職員、患者などの心と体のケアが必要である。

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