FUKUSHIMAいのちの最前線
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第3章放射能との闘いFUKUSHIMA いのちの最前線199 ヒロシマ,ナガサキに次いで,フクシマは日本における放射能被ばく地として世界中にその名を知られることとなった。2011年3月11日の東日本大震災に続いて3月12日から起きた東京電力福島第一原発の事故による放射能汚染は3月16日にピークとなり,例えば福島市における1日平均大気中放射能レベルは約18μSv/hであった(図1)。福島市内でも9月時点でなお1.3μSv/h(市役所横),2.2μSv/h(市役所大波出張所)を超える放射能が検出される地点が存在する。 この放射能汚染は11万3千人もの人々に移住を迫り(2011年7月現在),24万人の小学生~高校生のうち1万人を福島県外の学校へ転校させ(5月現在,文科省調べ),福島県の主要な産業である農業・漁業,観光業に深刻な打撃を与え,特に幼い子どもを持つ親の不安を掻き立てている。つまり,多数の人々の生活を根こそぎ変えたわけである。 精神科医療・保健・福祉にとっても原発事故は大きな変化をもたらしている。福島第一原発から30㎞圏内には5つの精神科病床を持つ病院がある(図2)。3月12日から17日にかけて原発から北の4病臨床精神医学 第40巻第11号掲載特集にあたって丹羽 真一フクシマの教訓─放射能被ばく事故に学ぶこころのケア1 何が起きたかKey words:原発事故,低線量放射能被ばく,精神科医療,緊急避難,電子カルテA lesson of the Fukushima complex disaster for psychiatric professionals : A forewordNIWA Shinichi 福島県立医科大学医学部神経精神医学講座〔〒960-1295福島県福島市光が丘1〕図1 Daily average radiation in Fukushima City(Science誌,5月20日号)図2 福島県浜通りの精神科治療施設のある病院の所在と福島第一,第二原発の位置関係第一原発の30㎞圏内で緊急時避難準備区域に指定された中に2病院,20㎞圏内の警戒区域に3病院があり,これらの病院では全部または一部の入院患者を他院へ移送せざるを得なかった。とくに原発から北の4病院はすべての入院患者を他院へ移送した。(福島県精神科病院協会作成)

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