FUKUSHIMAいのちの最前線
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第3章放射能との闘いFUKUSHIMA いのちの最前線195 27日の集会では,福島原発事故発生直後の3月12日に放射線医学総合研究所の緊急被曝医療派遣チームの一員として現地対策本部が置かれたオフサイトセンター(OFC)で活動した冨永隆子医師が,当時の現地の様子を報告した。 負傷者が運ばれ,まるで前線基地に それによると,第一原発から約5㎞先に立地していたOFCでは,震災の影響でインタ一ネット,携帯電話,ファックスなどの通信手段が使えず,2回線あった衛星電話も常に使用中で,情報の入手も発信もできない状況だったという。 その上,OFCから自衛隊員が給水作業に赴いたり、外から戻ってきたスタッフを除染するなどOFCが前線基地のような「オンサイトの状態」に。 さらに12日に避難区域が第一原発から20㎞圏内に拡大され,5つの初期被曝医療機関のうち3つの医療機関が避難区域に入ったため,第一原発周辺に汚染傷病者の受け入れ医療機関がほとんどない状況となった。 このような状況下で14日には,3号機の水素爆発によって負傷した自衛隊員4人が医療設備のないOFCに搬送された。しかし通信手段か途絶えていたために,受け入れ先の決定に2~3時間を要したという。 その後,周辺の空間線量率の上昇,通信機能の障害等によりOFCの機能が果たせないことから,15日の午前中に原発から約60㎞離れた福島県庁本庁舎に退避した。 こうした経緯について冨永氏は「避難区域が広がったことで,逆にOFCが取り残された状態だった」と振り返った。通信手段が途絶えたことで,住民の避難状況も把握できなかったという。 このように,事故前の緊急被曝医療体制が機能しなかったことを踏まえ,冨永氏は「緊急被曝医療体制の再構築が必要」と指摘。さらに現在は,原発作業員の傷病者を医療機関に搬送する際に,汚染してないこと,汚染していても搬送者に影響はないことを証明する「搬送可能証明書」が必要であることを報告した上で,「汚染の有無にかかわらず,いつでもどこでも誰でも最善の医療を受けられる医療体制が必要」と指摘した。もらう機会をつくることが大事だ」と指摘した。報告する冨永隆子氏今後の被曝医療について議論したパネルディスカッション.住民の不安に寄り添った情報提供とはどうあるべきか.専門家の自問は続く原発事故時に現地入りした医師が報告「現地対策本部が取り残されてしまった」

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