FUKUSHIMAいのちの最前線
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第3章放射能との闘いFUKUSHIMA いのちの最前線191DMATチームが本学に集合,各地のドクターヘリも集合し,県内各地の災害医療支援に向かった。学内では,医師・看護師・技師・事務職員はもとより,医学部・看護学部教官,研修医,学生ボランティアなどが災害医療に力を尽くした。多数の外来救急患者を想定していたが,3日目(震災後58時間)までの救急患者は168名と予想に反し比較的少なく,トリアージの内訳は緑(軽処置群)93名,黄(非緊急治療群)44名,赤(最優先治療群)30名,黒(不処置群)1名であった。このほか,福島市内でいくつかの病院が損壊し,多数の人工呼吸器装着患者なども搬送された。また,断水のため,多くの病院で人工透析が不能となり,透析可能施設の検索と患者輸送が必要となった。日本透析医会災害情報ネットワーク,東京都区部災害時透析医療ネットワーク,新潟大学などに力を発揮して頂き,多数の患者が救急車やヘリで県内透析可能施設,首都圏・新潟県などの施設へ無事搬送された。 3月12日には原発事故発生が明らかとなり,その後,2回の水素爆発が発生した。広島・長崎大学を主体とする緊急被ばく医療支援チーム(Radiation Emergency Medical Assistance Team ; REMAT)も出動,本学にもその後長く滞在して被ばく医療を支えてくれた。この時点では,チェルノブイリ型炉心爆発の可能性も十分あり,炉心爆発時には“Code Red”を発令し,学生・入院患者・職員の安全を確保することとした。“Code Red”の発令は,①オフサイトセンターからの緊急連絡,②TV・インターネットなどでの報道,③環境モニタリング>100μSv,の際とし,学内・院内放送や電子カルテで周知することとした。発令後は,入口・窓の閉鎖,換気停止,外出禁止(不急の場合は防護服とN95マスク着用),ヨード剤配布・服用,などをただちに行うこととした。また,職員・学生の放射線被ばくに対する過度な不安を除くため,広島・長崎両大学および本学の専門医が頻回に講演を行い,リスクコミュニケーションを図った。これにより職員・学生の動揺はかなり収まり,冷静な行動が可能となった。 一方,緊急避難地域が指定されたため,指定地域内の自力避難不能の入院患者,ならびに介護施設入所者約1,300名の域外搬送が必要となった。これは主に自衛隊・消防・各自治体などの共同作業で行われたが,相双地区(相馬市~双葉町にかけての浜通り)では本学が中継地点としての役割を担った。トリアージのため,外来待合室および看護学部実習室にベッドを準備,175名の診察を行い,移動可能者は引き続き退避,移動不可能者は一時入院とした。一時入院者は125名を数えた。これらの診療は,看護学部教官の強力な援助も得ながら,内科全部門と地域・家庭医療部の医師などが担当した。 避難地域からの搬送が一段落した後は,活動の主体を徐々に避難民医療へと移行した。各避難所でのプライマリー・ケアはDMATに加え,地元医師会・日本医師会災害医療チーム(JMAT),県内地域中核病院からの応援医師などが担当して下さった。それ以外に,全国各地からボランティアとして多くの医師・看護師などが集まり,前述の活動を支援して頂いた。このため,本学としては,その活動をより組織的にし,災害医療全体のレベルアップを図るため,広域医療緊急支援として以下の3つの活動を行うこととし,体制を整備した(図1)。1.高度医療緊急支援 阪神・淡路大震災の経験から,各避難所ではより高度な医療ニーズも発生することが知られていた。このため,これらのニーズに対応可能な専門チーム震災発生1週間~2週間~退避患者対応急性期避難民対応慢性期いわき相双地区5病院患者搬送対象者 約1,300名搬送中継トリアージ対象者 175名(重症患者125名は一時入院加療)広域医療緊急支援①高度医療緊急支援チーム②地域・家庭医療チーム③専門医療コンサルテーション外来,定期手術休止全面救急重症対応震災患者受入 約1,000名災害医療対応超急性期高度被ばく者12名除染、3名入院被災者放射線サーベイ約500名原発事故対応図1 福島県立医科大学:活動のまとめ

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