FUKUSHIMAいのちの最前線
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第2章福島医大関係者行動記録〈手記とメッセージ〉FUKUSHIMA いのちの最前線155 朝霧が、周囲の景色を覆ってしまいます。10日には、今年初めて川霧が発生しました。葉をすっかり落とした柿の木、枝がたわむ位柿が生なっていて、鮮やかな橙色の数に“哀れさ”さえ感じます。 刈り入れの終わった荒涼とした田たんぼ圃、藁ぼっち、田圃の煙、土手には野生化した橙色のカボチャ、そしてロールベールサイレージの白が、収穫後の田圃の安らぎを僅かに表現しています。稲藁は、昔は、叺かますや俵、あるいは畳の芯の材料として大切にされたものです。 葉を落とした柿の木の幹や枝の凜とした立ち姿、収穫後の索さく寞ばくとした田圃の風景、この対比は、“生きる”ことの諦観と希望を我々に示しているようです。 早朝、通勤路の銀杏の街路樹が山の稜線から顔を出した朝陽を浴びて、輝くような黄金色を発色していました。この時季、構内の楓の赤も一層鮮やかです。 門扉脇の山サザンカ茶花の際立った白さが目に飛び込んできます。去年の今とは全く違った状況におかれても、季節は巡り、花が冬の訪れの近いことを知らせてくれます。この白さに“儚さ”を感じます。山茶花や いくさに敗れたる国の(日野草城) 畳替えをしました。帰宅して玄関を開けると、藺イ草グサの香り、昔、季節毎に、一家総出で畳を起こして竹しない刀の竹片で埃をたたき出していたことを思い出します。今では、失ってしまった風景の一つです。 原発事故の対応、世間の感覚では「終わり」でしょう。しかし、福島はこれからが「始まり」です。「あらゆる時代は、過ぎて年を経るに従い現実味を失う」(徳岡孝夫)は真実です。 科学的合理性を越えた事象には科学だけで解決しようとしても無理があり、心の問題解決は別次元です。原発事故の前、誰が今の状況を予言(警告)していたでしょうか。一転、今は喧かまびすしい程の議論、第一線に立って苦労されている方々の負担になっていなければ良いのですが。 高山樗牛の「やがて来む寿永の秋の哀れ、治承の春の楽しみに知る由もなく…」が脳裡をかすめます。只、世の中にはごく少数ながら警告を発していた人はいたようです。「預言者 故郷に受け入れられず」、この箴しん言げんも真実でした。 気がつけば11月も半ばです。ガラス越しに外をみると、構内の紅葉が今年も見事です。例年ならその中に身を置き、一時の安らぎを得るところですが、今年はそれ程の時間や心の余裕がありません。 唯一、自分を取り戻せるのは夜の闇です。闇は、昼の光が目の前にあるコトに気を向けさせてしまうのに対して、自分の心を内に向けることを容易にしてくれます。これも、原発事故に直面し、この歳で、会得できたことです。 今週の花材は、執務室は横への拡がり、秘書室は蹲うずくまりで、晩秋から初冬にかけての安らぎを表現しています。今週の花vol.148 述 懐2011年11月11日■石化柳〔セッカヤナギ〕ヤナギ科/石化柳は尾上柳〔オノエヤナギ〕の枝が石化したもの(枝の上部が帯状に扁平)。茎の一部が枯れこんで成長がとまり、他が成長するため曲がりくねる。曲がりくねった石化部分の動きを生かして、生け花やアレンジに使用。■グロリオサ(ルテア)ユリ科/球根植物/《名前の由来》ラテン語で「栄光」や「見事な」を意味する“グラリオラス”から/花びらが反り返り、炎のようなユニークな花姿。葉先が巻きヒゲになり、支柱や他の植物に絡まって成長する蔓性植物。■アンスリューム(グリーン)サトイモ科/常緑多年草/原産:中南米/ツヤツヤの花(苞)と葉で、造花と見間違うような花。花びらのように見える部分は苞で、中心の棒状の部分が花(花序)。主に苞を観賞するため、非常に長く楽しめる。■フェジョア フトモモ科/常緑低木/原産:南アメリカ/グァバに似た熱帯果樹で、パイナップルのような味。葉物として切花で流通。肉厚の葉で表面は光沢があり、裏は綿毛があり銀色。

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