FUKUSHIMAいのちの最前線
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第2章福島医大関係者行動記録〈手記とメッセージ〉FUKUSHIMA いのちの最前線151 この事故は、日本人の“自然の中に住まわせて戴く”という古来の思想が、今の時代に合った姿で蘇る切っ掛けになるような気がします。 田舎育ちには、「自然を守る、親しむ」という言葉に若い時から違和感を覚えていました。私は、雨が降るとすぐ泥道と化す小道の脇にあった、手掘りの用(排)水路の底に孑ボウ孑フラが隙間なく繁殖しているのをみていた、多分、最後の世代です(ボウフラという言葉は死語でしょうか)。そんな情景が日常の中にあっただけに、人々のいう自然とは、所詮、里山に代表される“管理された自然”(vol.79)であって、手付かずの自然の中では人間が生活なんぞできないという思いを子供心に持っていました。(vol.79 http://www.fmu.ac.jp/univ/cgi/hana_disp.php?seq=105) 4月27日夜、今年初めて蛙の鳴き声を聞きました。古池や蛙飛びこむ水のおと 芭蕉 分かったような感じでいました。一冊の本(長谷川櫂「古池に蛙は飛びこんだか」)で、この句の奥深さを知りました。古池に蛙は飛び込んでいないのだそうです。 会津に出掛けて来ました。春風の心持良さを久し振りに肌で実感しました。春の風は暗そらに庭ていぜん前の樹を剪きる傅ふ温をん「和漢朗詠集」 目の前の課題に対応するのに精一杯の日々だからこそ、「ドラマは外側にあるのではなく、人の心のなかにある」(北上次郎)を実感します。 今週は、週始めに花を活けても3日連続の休日です。誰にも愛でてもらえない花が可哀想なので、花は止めにしました。 今は、ノウゼンカズラが鮮烈な色と高さで存在を主張しています。花も主役が交代し、「常ならず」です。 室内では向ヒマワリ日葵から英気をもらっています。ヒマワリといえば、映画「ひまわり」(vol.42)とヘンリー・マンシーニの哀切さを湛えた音楽は今も記憶に残っています。(vol.42 http://www.fmu.ac.jp/univ/cgi/hana_disp.php?seq=67) 川端康成の戦後の代表作である「山の音」で象徴的に使われています。 東北も梅雨が明けました。只、子供の頃に皮膚感覚で感じていた初夏の季節感は、一体、どこへ行ってしまったのでしょう。激しい雨のお蔭で、空の薄青を背景に、白みがかった黄金色と丸い形で心に涼風を運んでくれます。涼しさのかたまりなれやよはの月(貞室) 縁側で月を眺めていると、縁台に座って近所の人々と談笑していたことを、セピア色の写真をみるように思い出されます。 この4か月、原発事故に伴う人々の動揺、同時に、変化を続ける「時代」という潮流、そんな荒波を大学も乗り切らなければなりません。しかし、時は、本学に課せられた事情を斟しん酌しゃくして猶予を与えてくれたりはしません。二正面作戦を、ぶれずに、そして迅速に遂行しなければなりません。 学長職が2期目に入り、「情報の共有化」から「認識の共有化」への進化を掲げて動いています。リーダーは、じっと歯を食い縛って立ち続けるしかない場面で、どれだけ耐えられるかが問われているのだと、この頃実感しています。頼りは、信頼してくれている同僚や職員、友人、そして古巣の弟子の存在です。先日戴いた恩師からの手紙は、感情の爆発を辛うじて抑えてくれました。 今は、早朝、誰も居ない1号館、まず、今は亡きアート・ファーマーやルイス・ヴァン・ダイク・トリオの「おもいでの夏」を大きな音量で鳴らしています。大量の書類、メール、原稿、そして手紙を片付けたら抹茶を喫します。それから、MJQの「朝日のようにさわやかに」や「ヴァンドーム」を繰り返し聴いています。お香、音楽、そして茶(抹茶や紅茶)は、私にとってはなくてはならない精神安定剤です。 原子炉の安定化作業もほぼ予定通りの進行、科学vol.133 夏の月2011年7月22日

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