FUKUSHIMAいのちの最前線
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138*Saori AKIBA:ヘルスサイエンス情報専門員(中級)〒960-1297 福島県福島市光が丘1.Tel.024-547-1684 Fax.024-547-1996 saori-a@fmu.ac.jp(2011年7月6日 受理) 沿岸部を中心に甚大な被害を受けた福島県の中にあって,福島市郊外に位置する福島県立医科大学附属学術情報センター(以下「センター」)は,震度5強の揺れに見舞われたものの,幸い大きな被害から免れた。書架から落下した約4割(8万冊強)の図書・雑誌を戻す復旧作業は一週間程で終えたのだが,原発事故の影響により休館を余儀なくされ,平成23年5月2日にようやく再開することができた。 震災からこれまでの経過について報告する。 ほとんどの学年が春季休業に入っていたこともあり,当日その時間帯の館内利用者は十数人だった。大きな揺れが長く続き,図書・雑誌が次々と落下していったが,利用者は冷静で混乱が生じるようなことはなかった。揺れが収まった直後に閉館を決定し,館内放送及び直接の声かけで利用者へ退出を促した。 センター内を点検したところ,書架は足の踏み場もなくなっていたが,利用者・職員とも人的被害がなかったことにまず安堵した。センターの建物は昭和63年に完成し、平成10年に増築している。古い方の建物の壁に数か所ヒビが入ったものの,取り立てて被害はなかった。しかし,復旧の目途は全く立たないため当分の間休館することを決定し,センター玄関と図書館ホームページにお知らせを掲示した。 その後,職員は21時までセンター内で待機することを命じられた。附属病院の応援業務に備えてのことで,炊き出しのおにぎりが配られた。電気・ガスは無事だったが,断水はこの日から一週間続いた。結局その日の応援業務はなくなり解散したが,翌日の12日(土曜日)からローテーションで附属病院の応援業務に当たることになった。 余震が収まらないなか,3月14日からセンターの復旧作業は始まり,それと並行して附属病院の応援業務(外来受付等)も,3月末まで休日を問わず続いた。 例年になく寒い3月だったが,学内の暖房が止められたためコートなど防寒具を着けて業務に当たった。またこれは被災地共通のことであるが,物流のストップによりガソリン・食糧など生活必需品全般が不足し,当然のことながら雑誌・図書も届かなくなった。この状態は3月下旬まで続いた。 こうした状況に追い打ちをかけたのが原発事故で,福島市も放射線量の高い日が続いた。 本学のグラウンドは緊急ヘリポートに変わり,ドクターヘリはもちろんのこと,陸上自衛隊の大型ヘリコプターも患者輸送のために日に何度も行き交った1)。 そのような緊張感の続くなか復旧作業を進めていったのだが,平成22年に一部書架を補強していたことも奏功したのか,書架そのものへのダメージは皆無で,約8万冊の図書・雑誌を棚に戻す作業は職員10人により約一週間で終了した。なお,資料の損害は少なかった。 国内全体が原発事故による放射性物質拡散により混乱していた時期だったが,一方で本学では3月18日に医療従事者向けの放射線講演会が初めて開かれるなど,正しい知識を身につけるための取り組みが始まっていた。以降,講演会は対象を一般の職員・学生にも広げ,数回開かれている。また,本学独自に放射線量を観測・公開することもこの頃から始医学図書館 2011;vol.58 №3「東日本大震災:災害と図書館」掲載福島県立医科大学附属学術情報センター 秋葉 さおり*福島医大の震災レポートⅡ.3月11日Ⅰ.はじめにⅢ.復旧作業と原発事故(3月中旬)

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