FUKUSHIMAいのちの最前線
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第2章福島医大関係者行動記録〈手記とメッセージ〉FUKUSHIMA いのちの最前線135でいくつもりです。①避難所の子どもたちとの交流 私は、福島県立医科大学の赤十字奉仕団という団体に入っています。特に小児に興味があり、定期的に附属病院の小児科へ訪問し、子どもたちと一緒に遊んだり、工作をしたりといった活動をしています。そこでこの活動経験を活かし、福島市にあるあづま総合運動公園の体育館に避難している子どもたちと、工作や遊びを通して交流するという活動を始めました。 避難所に着き、まず私が最初に感じたことは、テレビ等の報道や新聞記事からでは計り知れない現実が、いま目の前に突きつけられている、そうした中で子どもたちもまた生活をしている、ということでした。避難所の中に入ると、忙しそうに楽器を運んでいる自衛隊の方々とすれ違いました。すると、1人の男性がニコッとして、私たちに可愛らしいシールを手渡してくれました。それを見て私は、どんなに小さなことでも相手を元気づけることができるのではないかと思いました。自衛隊や赤十字の方、看護師等、それぞれの職種の役割や義務感ではなく、人として相手を思いやる気持ちがいちばん大切だと感じました。 7~8人のメンバーとともに、受付で体育館内の多目的ホールのような部屋を1つお借りして、アナウンスで子どもたちに呼びかけてもらったところ、一斉に子どもたちが集まってきました。 子どもたちは好きな場所に座り、私はその前に座って一緒に工作をしました。その日は“コップロケット”をつくって遊びました。紙コップを2つ用意して、片方に輪ゴムを付けて、もう一方に重ねて飛ばします。紙コップにはそれぞれ好きな絵を描いたり、いろいろな種類のテープで飾りつけをするなど、夢中になって取り組んでいるようでした。できないところは少しだけ手伝って、うまくできたらよくほめるように心がけました。また、静かに集中する子やおしゃべりしながらつくる子、歩き出す子など、1人ひとり違った個性があるので、たくさん会話をしたり、目を合わせたり、微笑んだり、触ったりと、その子にあわせたコミュニケーションで交流がはかれるよう意識しました。別の日には、磁石や針金を使った“魚釣り”をして遊びました。赤十字の方やテレビ局の方も来られたので、子どもたちが緊張しないか心配でしたが、私たちと一緒になって遊んでくれて、子どもたちはいつも以上に楽しそうでした。子どもが途中で飽きたら、折り紙や風船、塗り絵、おもちゃなどの遊びを提案したり、皆でおにごっこやかくれんぼをしたりと、基本的に子どもたちが自由に楽しめる場を私たちが提供するようにしました。②子どもたちのストレス 活動中に子どもたちから感じたことは、気性が激しく、言葉や態度、仕草までもがとても暴力的だということです。ある男の子2人が、おもちゃを振り回しながら走って部屋に入ってきました。そして、私たちに「死ね」「殺してやる」と言いながら叩く、蹴るなどの暴力をふるい、部屋にあったマイクを使って大声で叫び出しました。なかなか落ち着かせることができず、避難している方々にとても不愉快な思いをさせてしまいました。 事前の準備や確認、話し合いを入念にすべきだったと反省しました。私たちが来て興奮しているせいもあったとは思いますが、子どもたちの様子を見ていると、震災によるストレスや恐怖、心の痛みと闘っているのではないか、と感じました。そんな子どもたちとどう接したらよいかわからなかったのですが、肩車をして体育館の中をぐるぐる回っているうちにだんだん心を許してくれて、男の子はおとなしく私に甘えてきました。皆のところに戻るとまた暴力的になってしまったのですが、本当はもっと誰かに甘えたいんじゃないかなと思いました。 震災後、テレビでは毎日、どの番組を見ても被災地や被災者の方々の状況、原発や放射能の問題のことで一色でした。子どもたちにとってはまだよくわからない問題もあって、震災によるストレスが溜まっているかもしれないと思い、私たちはアニメの鑑賞会を行いました。事前にDVDを借りてきて流したのですが、そのアニメを見終わった後、ある男の子が急に床に突っ伏して泣き始めてしまいました。何を聞いても答えてくれず、帰ろうとすると足をバタバタさせてとても嫌がりました。結局どうして泣いているのかわからないまま、元気づけることもできず、帰ることになってしまいました。 あのとき自分はどのように接し、どう行動すべきだったのか、といまでも考えてしまいますが、何もできなかったとしても、ただもう少し一緒にいて、子どもたちとのかかわりを通して、いま思うこと松本 里帆2年

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