FUKUSHIMAいのちの最前線
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114 3月15日、玄関トリアージが混雑してきたため、看護師を増員して対応しました。被災地から一時避難されてきた患者さんの入院が増加し、外来看護師も病棟の応援に入り、体位交換や食事介助を行いました。看護師からは、患者情報が不明瞭であることや、他のスタッフの言動に対する不満や非難が聞かれ、いらいら感が表出されるようになってきました。自宅が断水や停電だったり、食料の確保ができない状況であったこともその要因として考えられました。私は、「外来は体制が変化し、どんな患者さんが来るかわからない状況です。そんな中で、久しぶりの夜勤でも、外来看護師は十分に対応できていてすばらしいですね」「院内のみんながそれぞれの立場で自分のできることを精一杯がんばっているのだから、それをお互い認め合って現状を乗りきりましょう!」と声をかけました。 3月16日、ガソリンの補充ができない現状などから、スタッフの要望で外来勤務体制を3交代から2交代へ変更しました。玄関トリアージの数が相変わらず多いため、担当を2人から4人に増員しました。 地震発生から1週間後の3月18日、夜間の外来受診者が減少したので、診察場所を外科系と内科系を合わせて1か所にしました。サポートとして入っていた学生や医事課の職員も縮小となりました。19日から外来の再開準備に入り、震災から12日目の22日に内科系外来のみ通常の体制に戻しました。外科系外来の患者制限は継続し、それまで休まず働き続けてきたスタッフに休暇をとってもらいました。24日、外科系外来を通常の体制に戻し、面会制限も解除となり、玄関トリアージを終了しました。③活動を振り返って 地震発生から2週間の外来看護師長としての動きを記しました。 緊急時には、看護師長が自分の判断で対応しなくてはならないことが多く、マニュアルに頼らない臨機応変な対応が大事であると感じました。このことから、日頃から看護師長の判断力を育成する教育が必要であることを痛感しました。 今回、外来看護師には多岐にわたる担当が要求され、看護体制の変更もありましたが、看護師長から指示がきちんと出されれば、すぐに対応できる看護師が多いことがわかりました。経験の豊富な看護師が配置されていたことも一因であったと考えますが、スタッフの力を信じ、外来看護師が自分から考えて行動できるように看護師長が支援することで、外来看護の質は向上するのではないかと感じました。 また、通常の外来業務では、スタッフ同士は区切られたブースで業務を行っているため、他の外来スタッフとの交流はあまりありません。今回は配属外来に関係なく一緒に業務をすることが多く、夜勤もともに行い、またガソリン不足のためタクシーや自家用車の相乗り通勤をすることで、コミュニケーションをはかることができ、外来を看護一単位として考えるよい機会となりました。 外来看護師長として私が心がけたことは、情報収集と情報伝達でしたが、情報が錯綜し、混乱をきたしました。災害時には、情報の指示系統を1つにして混乱を避けることが必要と考えます。加えて、看護師長として震災に遭遇したスタッフの精神的な不安を取り除きながら、外来診察体制の変更や転院患者の受け入れなど、納得できるように説明し、スタッフ配置をしていくことを心がけました。しかし、外来診療体制の変化に応じて看護体制を組み替えることにかかりきりになったこともあり、スタッフヘのケアが不足していたという反省点があります。自分でできなければ他の責任者に依頼するなど、早期にこころのケアの配慮をすることが必要でした。①地震直後の手術室 3月11日14時46分の地震発生時、私は手術部内のサプライホール(手術器材の展開や滅菌器材保管場所)勤務でした。このとき、全身麻酔6人と局所麻酔2人の手術が進行中であり、また局所麻酔で手術後の患者さん1人が手術室内を移動中でした。最初の大きな揺れで、手術部内にある高圧蒸気滅菌器2台が停止しました。その後すぐに無影灯を術野上から移動するように一斉放送があり、私はサプライホール係として各手術室を回り、避難通路が確保されているかどうかを確認し、患者さんや医療スタッフの安全確認を行いました。各手術室内では手術を中断し、患者さんの上にME機器や点滴台などが倒れないように押さえたり、患者さんに寄り添うスタッフの姿が見られました。また、手術室内を移送中の患者さんは、いちばん近くの空いている手術室で待機していただきました。 地震の影響で、病院全館のエレベーターや暖房が震災時の手術室での対応横山 美穂子手術部地震・津波・原発事故への対応

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