FUKUSHIMAいのちの最前線
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第2章福島医大関係者行動記録〈手記とメッセージ〉FUKUSHIMA いのちの最前線105 今回の大震災では、地震、津波の被害が沿岸部を中心に広範囲に及んだことや原発事故の発生により、さまざまな背景をもった多くの方々が避難を余儀なくされました。特に原子力災害という特殊な事情により、地震そのものでは無傷であったのにもかかわらず、原発避難区域内にいた多くの寝たきり患者さんたちが、食糧も医療資源も不十分な中で急遽集団避難を強いられるという状況が発生しました。情報網が混乱し十分な医療支援が到達する間もなく、仮避難所や過酷な長距離搬送の過程で20名を超える犠牲者を出してしまう悲劇となりました。 また、今回は阪神・淡路大震災や新潟県中越地震などとは異なり、犠牲になられた方の多くは津波による溺死で、地震そのものによる建物損壊で重い外傷を負った患者さんは比較的少なかったことが被災地の各中核医療機関から報告されています。全国から多くの災害支援医療チームが被災地に入りましたが、災害発生後数日で外傷への急性期対応は一段落し、その後の避難所での医療ニーズは、交代制で避難所を巡回する災害支援チームの医療に徐々に馴染まなくなっていきました。そのとき、避難所の方々が私たち医療者に求めていたものとは……。避難所での医療の混乱 長期化する避難生活では、かぜや感染性胃腸炎などの感染症対策といった急性期の問題への対応はもちろんのこと、高血圧や糖尿病、不眠症や便秘症などの慢性疾患への適切かつ継続的な管理が求められました。避難所にいる多くの方は、たとえば“余震の恐怖や原発事故の不安で眠れない日々が続いた結果、血圧が急上昇し、それがさらなる不安やうつ状態を招く”といった具合に、日常よく遭遇する健康問題を同時に複数抱えていました。災害弱者と呼ばれる高齢者や持病をもっている方、乳幼児や妊婦さんだけでなく、本来健康問題とは無縁と思われる人たちですら、偏った食生活、過度のストレス環境下で徐々に体調を崩していきました。 被災地の通常の医療システムが機能しない中、災害急性期から災害支援チームによる避難所の巡回診療が行われ、避難者の健康管理に寄与したことは言うまでもありません。その一方、災害発生後10日を過ぎた頃から「たびたびお医者さんに診てもらえるのはありがたいけれど、毎日違うお医者さんが来て、それぞれ違う薬を置いていくから、どれを飲んだらいいかわからない!」「何度も初めから同じことを話さなければならないのが辛い!」といった声が避難所で聴かれるようになりました。 先が見えない避難生活の中、継続性の乏しい散発的な医療支援ではカバーしきれない時期にすでに入っていたのです。その時期には、避難所の方々は包括的かつ継続的に診てくれる“かかりつけ医”を求めていました。 避難所ではときに、自分がこれまで担当していた患者さんと偶然出会うことがあります。「無事だった?」と尋ねると「先生、来てくれたの~!!!」と喜んでくださいます。しかし、避難所には、かかりつけの診療所自体が被災していたり、原発避難区域内にあるという事情で、当分の間かかりつけ医に受診できる見込みが立たない方が大勢いました。 そんな方々のために、普段のかかりつけ医の代わりに多彩な健康問題に対して継続的に診てくれる医師が必要でした。そして、何よりもその役割を果たしたい一心から、可能な限り近隣の避難所を継続的に訪問しました。その結果、元々担当していなかった患者さんからも「先生、また来てくれたの~!」と声をかけてもらえるようになり、新しいかかりつけ医として認めていただけた喜びと、共に歩んでゆく使命感を自覚することができました。 家庭医とは、前回述べたように、「よく起こる体の問題や心の問題を適切にケアすることができ、各科専門医やケアにかかわる人々と連携し、患者さんの気持ちや家族の事情、地域の特性を考慮した医療を実践できる専門医」です。このことは、災害時においてもなんら変わることはありません。むしろ「災未曾有の津波被害と原発事故がもたらした大規模避難災害時こそ重視されるべき家庭医の役割地震で外傷を負った患者さんと執筆者2災害時こそ、家庭医の役割はより重要になる! 長期化する避難生活では、包括的かつ継続的に診てくれる家庭医が求められている。(2011年8月2日)

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