≡福島お達者くらぶだより≡
2020年 7月 1日発行 通算 第96号
ミーティングについて
6月のミーティングから場所が福島県立医大の近くの蓬莱学習センター(分館)に移り、この新しい場所でのミーティングを無事に始めることができました。今は一部屋しか借りられないので、本人ミーティングはその部屋の外で行ったのですが(ちゃんと屋根の下です)、イスを丸く並べて、雰囲気はなかなかよかったです。家族ミーティングが終わるまで待っているときも、はじめて参加する人も含めて、楽しそうに話していました。(寒い季節になればどうするか、考えます。)
問題は、医大の時と違い、毎月その部屋を確保に行かなければならないし、その部屋の希望者が他にいれば使えるかどうかわからないことです。ただ、目下は分館の管理の担当者が小学校の先生をしていた方で、お達者くらぶの意味をよく理解していただき、かなり優先的な配慮をしていただけています。これは本当にありがたいところです。
福島お達者くらぶは1992年の開始以来、毎月1回だけとは言え、一度も休むことなくミーティングを行ってきました。それは摂食障害の関係者から(自助グループの人たちからも援助職専門家からも)高く評価されてきていました。
ところがこのところの新型コロナウイルスの感染拡大によって、福島県立医大の研修室を使えなくなり、4月には取りあえず屋外の満開の桜の木陰でミーティングを行いましたが、(何度もメイルでお知らせしてきたように)5月は全国的な(福島県でも)外出自粛要請でついに休止とせざるを得ませんでした。これは本当に残念ですが、アルコールなど他の自助グループミーティングもほとんどが休止となっている状況ではやむを得ませんでした。無理やり集まろうとすると、どんなバッシングが来てしまうかも知れませんでしたし。
しかし6月からは医大近くの蓬莱学習センターでミーティングを再開することができました。医大の時のような快適な環境ではないのですが、ここでミーティングが行われている、というだけでも心が安らぐ思いをしていただけるのではないかと思います。ここでまた新たな歴史を作っていければと思っています。
摂食障害の各病型の対応について
このお達者くらぶだよりの前号では、『こころの科学』という雑誌の209号(2020年1月)「摂食障害の生きづらさ」という特集号に出ていた「摂食障害の精神病理−歴史と現在」という論文(著者は高倉修先生と小牧元先生)を基にして、摂食障害のタイプの違いを考察しました。この号ではそれぞれのタイプにどのように対応していくべきなのかを、同じ論文を参考にして考えてみたいと思います。
摂食障害の人たちはどのような場合にも自己評価の低さが背景にあるのですが、対応のためには、その共通点以外に、それぞれのタイプの摂食障害の人たちの心の中が心理的にどのような状況があるかをもう少し掘り下げて考える必要があります。上記の論文では、効果的な治療を行うために、「神経性やせ症」「神経性過食症」「過食性障害」というDSM-5(アメリカ精神医学会の診断基準)の病型分類だけでなく、特徴的な病態(というよりも心理的な背景と言うべきでしょうか)に基づいて、診断時に交通整理的に摂食障害を次の三つに分類しています。
1.軽症の摂食障害
2.中核的な摂食障害
3.パーソナリティ障害的な摂食障害
1.軽症の摂食障害
これはもともとの精神病理は比較的軽く、ストレス発散の手段としての過食が手放せなくなった過食性障害の一群や、あるいはやせ礼賛の社会的風潮に影響されてダイエットを始めたのがエスカレートした(その途中で拒食から過食に転じることも多い)ものです。この論文の著者は、この人たちには病気に対する正しい知識と理解を目指した適切な心理教育的アプローチによって対応していくのが適切だと解説しています。
それには一般内科での対応も可能な場合もあるだろうと思われます。ただ、内科医には(それどころか心療内科医だって精神科医だって)、摂食障害のことをよく理解していない人たちが多いと言わざるを得ません。食生活のあり方を是正しようと(あるいは取りあえず消化器系の症状を何とか抑えたくて)そのようなところにかかると、よけいに混乱することになるかも知れません。やはり摂食障害を専門とする(少なくともそれを引き受けることを標榜している)クリニックや病院を選びたいものです(それが少ないことが大きな問題なのですが)。
摂食障害のことをよく勉強した管理栄養士の人たちがこの治療チームに加わってもらえると、大きな力になります。ただしこの場合も、摂食障害のことをよく理解していない一般の栄養士・管理栄養士の人たちは、ただ栄養学的に正しい食事を教えようとすることが多いので、かえって患者さんたちを傷つけることもあります。
2.中核的な摂食障害
この人たちはやせ願望が強く、強迫的に摂食障害であり続けようとします。摂食障害に特有の認知の偏りが根深くあって、摂食障害がその人の「生き方」そのものとなっているとも言えます。解決すべき様々な現実の問題から回避して、自己の世界から出ようとしません。
特に身体的に低体重、飢餓に対する耐性が高いと神経性やせ症の状態になり、血液検査データが非常に悪くなったり身体的合併症を伴ってくると、入院治療も必要になることが多くなります。特に生命の危機が迫っているときには、本人の意思に反しても、強制的な栄養補給が必要です。私の経験でも、そのときにはその治療に強く反発していても、回復が進むと、そのときの意思に反した治療をされたことを受け入れて、生きていて良かったと言えるようになります。
医師としては、それを受け入れてもらえるだけの信頼感をつなぐことが何よりも大事なのだと思っています。
3.パーソナリティ障害的な摂食障害
抱えている問題の中心が、摂食障害に特有の認知の偏りというより、心理面・行動面の著しい不安定性と衝動性がある人たちです。摂食障害の症状、特に過食や嘔吐などの行為に強い衝動性があって、境界性パーソナリティ障害の一症状とも見なせます。ただし、このように分類するには、このパーソナリティが摂食障害の発症以前から存在していたのか(あるいは摂食障害によってさらに顕著になっているのか)を見極めなければならないと、上記の論文に論じられています。
摂食障害を、この特徴を中心に見て、パーソナリティの病であると見ている人もいます。しかし、人に対する強い不信や万引き行動のような反社会的な病理があるとしても、それはもともと持っているパーソナリティによるのか、あるいは摂食障害を発症したことの影響を受けた結果そのパーソナリティ特徴が生じてしまったものか、判断は困難であるとのことです。個々の人について慎重に検討しなければならないのです。
このように論じるのは、パーソナリティ障害は性格の問題だから治らない(あるいはそれを修正するのはきわめて困難である)から、摂食障害としてふつうには対応できないとの考えがあるのかも知れません。しかし、境界性パーソナリティ障害の専門家は、これは(時間はかかるけれど)治ると考えています。私も、ひたすら責められたりして境界性パーソナリティ障害との診断を付けることもできると感じた人たちと何年もつきあうと、この人は本当はすごくやさしい人だったのだとわかった人を何人も知っています。
それゆえ、摂食障害がパーソナリティ障害の症状として生じているものであれ、摂食障害がそのようなパーソナリティの状態を引き起こしているものであれ、摂食障害などを引き受ける医師・治療者を名乗るなら、このようなパーソナリティの人たちの荒れ狂う気持ちをぶつけられる時期があることを理解しておかなければならないと思います。そしてそれに耐えていくことができるだけの力量が必要であることをつくづくと思い知らされ、勉強させてもらってきました。
さて、中核的な摂食障害ですが、上に書いたように、様々な現実の問題から回避しているのだと考えられるところがあります。それは(前述の軽症の摂食障害の場合のような)食べることや体重増加といった単純な問題からの回避ではなく、自分自身に向き合うことや現実社会、将来など、すべてのことからの回避に及ぶことがあります。
もちろん、意識して何かを避けているのではありません。自分が思い出せないように抑え込んでしまっている古い記憶があって、それが甦ると生きていけないくらいつらい状況になるからそれを避けて、拒食・過食や別の行動にすり替えたり、別の行動や薬物によって蓋をしてしまっているのです。それは脳の無意識の領域の命令によるものです。
それを起こしているものが何であるか、それを意識の領域に持ち出して言葉にするのがよいのかどうかなど、考えなければならないことはたくさんあります。これを読んでいただいている人たちは、そのことが最も知りたいところかとも想像しますが、それはまたいろいろと検討・考察しなければならないことが多く、その回避のことを、例を示しながら、次号で考えてみたいと思います。