≡福島お達者くらぶだより≡
2020年 4月 1日発行 通算 第95号
春になったというのに、日本中どころか世界中で、コンサートやスポーツのゲームなどほとんどのイベントが中止に追い込まれているばかりか(医学関係の学会もこの春は大震災以来の中止でした)、外出すら禁じられているところもある、そんな落ち着かない時勢ですが、皆様はいかがお過ごしでしょうか。
福島にいると、人が少し多いところではきちんとマスクをし、帰ったら手洗い・うがいをするなどでまずは大丈夫なので、過剰に恐怖におびえる必要はないのですが。(と、この原稿を準備していたら、発行前日になって感染経路の不明な感染者が福島市で2人出ました;1人は東京に買い物に行った時のようで「もっと時期を考えてくれ!」と思います。)それでも上に書いたマスク・手洗いでほとんど大丈夫、それに加えるとしたら、誰が触れたかわからないところをさわらなければならないときには除菌用ティッシューで拭くといいです。
ともかくも、生活にあまりうるおいのない日々がまだ当分続くでしょうか。何があっても、生き延びていてくださいね。
この号と次号では、摂食障害という病気について、専門家の論文を紹介し、私(この会報を編集している香山)のお達者くらぶでの経験を加えた解説を試みたいと思います。
摂食障害のタイプの分類について
一口に摂食障害と言っても、拒食の人、過食の人、過食・嘔吐の人など、その姿は人によってずいぶん違っています。どのタイプの摂食障害なのかは、それによって治療法は変わるところもあるので明確にしておく方がよいし、たとえば論文に書くときなどはそのタイプをきちんと記述しなければならないのですが、その際にはDSM-5というアメリカ精神医学会の診断基準が使われます(DSMは精神疾患全体にわたるもので、DSM-5はその第5版、その一つの章が「食行動障害および摂食障害群」となっています)。
しかし、たとえば過食・嘔吐の場合、それはDSMの「神経性やせ症(Anorexia Nervosa)の過食・排出型」とすべきなのか「神経性過食症(Bulimia Nervosa)」とすべきなのか、その分類の基準は明確でない人は多いでしょう。また「過食性障害(Binge Eating Disorder)」という分類があるのですが、それが「神経性過食症」とどう違うのかも迷います。
そのあたりは『こころの科学』という雑誌の209号(2020年1月)「摂食障害の生きづらさ」という特集号に出ていた「摂食障害の精神病理−歴史と現在」という論文によく説明されていました(著者は九州大学心療内科の高倉修先生と日本摂食障害学会の現理事長で福岡国際医療福祉大学の小牧元先生です)。その論文を基にして、そこに本人の人たちから聴かせてもらったことで私が勉強してきたことを添えて考えてみます。
「神経性やせ症」「神経性過食症」を含めて「神経性」が付く摂食障害は、「体重や体型が自己評価に過剰に影響を受けている、体重や体型のコントロールができているか否かの自己の能力によって自尊心が決定されてしまう」という認知面の特有の偏りが特徴である、とその論文には説明されています。そのとおり、自己評価の低さが基礎にあって、それで今の自分の姿・体型を「これでいい」と認められなくてやせ願望や肥満恐怖を起こしている、そのやせ願望や肥満恐怖がそのときの自分を認めさせてくれなくて、さらに自己評価を下げる、それが「神経性」の摂食障害です(本当は「神経性」よりも「心因性」というべきかと思うのですが、医学用語が“Nervosa”「神経の」というラテン語になっているのです)。
なお、自己評価の低さが生じるのは育ってきた子ども時代の環境のせいで、その人の責任ではありません。「私が悪いのだ、ダメなのだ」と、自分を責めないでください。
「神経性やせ症」は、以前は「神経性食思不振症(神経性無食欲症)」と言われていましたが、食思(食欲)がないわけでなく、逆に強い食欲に苦しめられている場合も多いので、日本の病名では「やせ症」に変えられました。以前には「思春期やせ症」という病名も使われたのですが、決して思春期だけでなく、大人になっても同じことが成立するために、「神経性やせ症」になりました。
その「神経性やせ症」と「神経性過食症」の診断上の区別は低体重という特徴があるかないかの違いだけだと、論文には書かれています。過食していても嘔吐や下剤乱用などの不適切な手段で標準の健康状態より低い体重を維持していれば「神経性やせ症」で、嘔吐や下剤乱用があっても標準体重あるいは過体重の状態にあれば「神経性過食症」です。しかし、その移行(病型の変化)があるから、基本的に同じ病気だと考えられます。その二つの病型を何度も往復する人もいます。
DSM-5では「神経性やせ症」は厳密に拒食(といっても生きていかなければなりませんから、全くの拒食でなく食事制限)を守る「摂食制限型」と、過食しても吸収する間を置かずに嘔吐するなどで低体重を保つ「過食・排出型」(むちゃ食い・嘔吐型と呼ぶ人もいます)に分けられます。どちらの場合にも損害回避傾向、思考の硬さ・頑固さなど、強迫性障害に似たパーソナリティの傾向が見られることが多いことは誰もが認めるところです。特に「制限型」の人ではこれが非常に強いのでしょう。
そして、その傾向が体重減少によっていっそう強くなるのではないかと私は考えています。強い摂食の制限、あるいは過食でも激しい嘔吐によって生命の危険が生じるところまで体重が減少してしまう場合、そこまでの強い痩せへの囚われの基にある心に抱えた不安に、その体の状態や死についての不安が加わって、悪循環を起こしているのではないかと考えるのです。その結果、ちょっとした風邪でも死の危険がある身体の状態に至りかねません(実際、神経性やせ症は精神科関係の病気の中で最も死亡率が高いと言われています)。
この極度の痩せの状態では、画像診断で見ると大脳が萎縮していることも関係しているのでしょうか、まともな認知・考察は期待できません。そのためにまずは体重(というより体力と思考力)を少しでも回復させる治療が必要になります。その治療には(納得してもらっても)体に染みついた抵抗があり、なかなか困難なのですが。
極端なやせ症では100グラムの体重増加でも認められなくなる人が多いのですが、同じように生活していても毎日の体重が変化するのは、ほとんどが体の水分量の変化です(食べたことで脂肪や筋肉が増えるのではありあません)。たとえば少し塩分量の多い食事を摂ると、その塩が浸透圧で水を体にとどめるように作用して、一日で1キログラムくらいの体重変化を起こすことは普通の人でもあります。そのときは腎臓が塩分排出と尿量を増やして調節してくれますが、その調節はホルモン分泌を介して起こるために少し時間がかかってしまい、調節されて元の体重に戻るのは遅れるのです(これは私の長年の生理学の研究者としての知識です)。少し塩分量の多い鍋料理を食べた次の日には全くおしっこの出ない人も知っていて、それだけ体重は増えますが、その塩分・水分はゆっくりと排出されます。
過食は、「神経性」の摂食障害では病型にかかわらず、体重増加の恐怖と後悔、そして罪悪感や自己嫌悪感をもたらしてしまいます。だから(どうしても吐けない人もいるのですが)多くの人は嘔吐や下剤乱用などで代償しようとすることになります(その薬による代償行為として下剤だけでなく利尿剤を使う人もいるのですが、これは体液の電解質バランスの変化を起こして、非常に危険です)。しかし、嘔吐など代償行為を行っても、それによってますます罪悪感が高まってしまい、抑うつ状態が強くなるのが常です。その苦しさをやり過ごすためにもさらに過食が必要になり、そして嘔吐という悪循環にのたうち回るような、出口の見えない苦しさが続きます。
この悪循環は特に「神経性過食症」の人で顕著なのですが、「神経性やせ症」の人と何が違ってそうなるのでしょうか。「神経性過食症」の人の場合は、食事制限を続けようとしても、その後のリバウンドが強く生じるのだろう、言い換えるなら「神経性やせ症」にとどまる人に比して体重増加への生物学的圧力が高いのだ、と紹介している論文では考察されています。とすると、過食の人はそれだけ動物としての生存能力は高いと言えるのかもしれません。
食べるのを止められない過食が続いていても、自己評価に大きく影響を及ぼすようなやせ願望や肥満恐怖が強くない人たちは「過食性障害」ということになります。この人たちでも自己評価は高くないことが多いかと思いますが、食べてしまっても自分を責め続けてしまうことはあまりないのでしょう。
ちなみに、摂食障害の世界的な自助グループがOA(Overeaters Anonymous)という「過食」の人の会という名称になっているのは、それが始まったアメリカと日本の両方のミーティングを経験してきた人に教えてもらったことで理解できました。その人の話しでは、アメリカではただ食べるのを止められなくて肥満のメンバーが多くて(だからそれは「過食性障害」で、アルコール依存の人がアルコールを止められないのと似ているところがあるのでしょう)、拒食や過食でも嘔吐によりやせている人が多い日本のミーティングと様相が違うとのことです。それゆえ、「回復はアメリカではやせること、日本では太る(正常体重に戻る)こと」との言葉に納得しました。
それでは、それぞれの型の摂食障害にどのように対応していくべきなのでしょうか。最初の方に書きましたように摂食障害の人たちは自己評価の低さが背景にあるのですが、対応のためには、その共通点以外に、異なったタイプの人たちの心の中が心理的にどのような状況があるかをもう少し掘り下げて考える必要があります。それは次号に続けることにしたいと思います。