福島お達者くらぶだより

 2019 7 1日発行 通算 92

 

スタッフの七海さんが引退されました

 福島お達者くらぶは1992年からミーティングを始めた、摂食障害に苦しむ人たちのグループとしては東京・大阪以外の地方都市では最も古くから活動している会です。本人と家族のミーティングを隣り合った部屋で並行して行うのは、私たちが全国で最初に始めたものです(今はいくつかのグループが同じように本人と家族のミーティングを行うようになっているのですが)。

 お達者くらぶは医師・看護師・心理士の有志が運営スタッフとして活動してきたのですが、スタッフは転勤などで参加できなくなることも多く、その際にはまた新たな人をリクルートしてきて(ぜひスタッフになりたいという人がその度に出てきました)、常に数人のスタッフが本人・家族担当として運営に加わってきました。スタッフは自分の仕事などで出席できないときがありますから、グループの活動の維持には数人は必要なのです。

 その27年前の設立時からのスタッフとして唯一残っていた看護師の七海さんが、病院の仕事を退職されてからもずっと関わっていただいていたのですが、この4月のミーティングでついに引退されました。七海さんはずっと本人ミーティングを担当されてきて、いつもにこやかに受け入れてもらって心を温められてきた人たちも多いと思います。何か一言でも七海さんに言葉を贈りたいと思う人は、お達者くらぶあてにメールで送ってください(メールにはペンネームでもよいので名前を添えてくださいね)。

 

香山が関わったのは

 ついでながら、この会報を編集している香山は、お達者くらぶのミーティング開始から3ヵ月後にスタッフに加わらせてもらいました。当時、私は県立医大の神経生理学の教授だったのですが、なぜか話しやすいみたいで学生達がよくいろいろな相談に来ていた、その中に過食症の人たちが何人もいて、摂食障害の勉強をしたいと思ってお達者くらぶのスタッフに加わらせてもらいました。

 それは、県立医大に来る前にいた別の大学で過食症の学生に支援を求められて関わったときに、人間は40年以上も生きると「人間とは何かわかった」ような気になっていた、そんな自信めいたものを根底から打ち砕かれて、「人の心は何と奥深いものだ」というより「何と怖ろしいものだ」と思わされたからです。

 そのとき、摂食障害の本を、専門家向けの本も一般向けの本もたくさん読んだけれど、自分が関わった人とどこか違うと感じてしまっていました。その中でただ1冊、ここに書かれていることが本当だと感じたのは、NABAが発行する「いいかげんに生きよう新聞」に投稿された手紙を中心にまとめられた『カナリヤの歌−“食”が気になる人たちの手記(上・下)』(斎藤学編、どうぶつ社、1991年)でした。それではじめてNABAを知ったのですが、お達者くらぶができたことを聞いたとき、それがNABAのミーティングを見学させてもらって始まったことを知って、私も参加させてもらいたいと、押しかけでスタッフになったのです(私は精神科臨床にはまったく関わっていなかったのですが)。当時、そのNABAの中心的な存在だった(今も中心です)モモエさんが毎回のように来て本人ミーティングの司会をしてくれていました。

(ちなみに、上の『カナリヤの歌』は絶版になったあと、学陽書房から女性文庫として『カナリアの歌−自分のからだを愛せない人へのメッセージ』として再版されましたが、どちらも中古本でないと手に入らないでしょう。)

 そのようにして私はお達者くらぶのメンバーの人たち(そして話しに来ていた学生諸君)から勉強させてもらって、そのうちに(恥ずかしながら)摂食障害についていっぱしのことを話すようになっていったのですが、大震災のあとくらいからお達者くらぶの事務局を担当するようになって今に至っています。

 

 そのようにして、摂食障害に苦しむ人たちやその家族の人たちと一緒に歩みながらこの問題を考えてきた中で、さまざまな思いが言葉になって湧き出してきた、それを本にまとめて12年前に出版しました。しかし、私自身の状況も摂食障害の世界の状況もさまざまに変わってきているため、今、私が考えていることをまとめて、このたび新たな本を出版しました。

『食を拒む・食に溺れる心――生きづらさと依存からの回復』(思想の科学社)です。

 

 時代が激しく動いてきても変わっていないこともあります。それゆえこの本では、大幅に構成を変えていますが、12年前の本に書いた内容とほとんど同じ箇所もあります。そのような部分でも、前回の本に手紙やメールを載せさせてもらった人たちが、その後、見事に成長して立派に社会人として働き、子どもを育てている、そのような姿も報告しています。

 ともあれ、この本は病気としての摂食障害を全体として解説するものではなく、それに苦しむ人たちを取り巻く状況をさまざまな方向から眺めて、どのようにすれば少しでも楽に生きられるようになるかを一緒に考えてみましょう――という思いで書いたものです。よかったら読んでみてください。

 

 その本の最後に載せた言葉をこの下に付けておきたいと思います。

 

治療者、援助者ではなく――同行者として!

 このように摂食障害に苦しむ人たちと接してきて思うのは、そしてその人たちに伝えていることは、私はその人たちを治すことができる「治療者」ではありません。(私が見ている人たちのほとんどは、過食に苦しんでいるけれど命の危険はすぐにはない人たちで、ゆっくり接しているうちに自分でよくなっていってくれるのです。)また、生活に役立つ知識や技術を教えたり、どこに行けばどんなふうに援助の手が差し出されていると教えることができる「援助者」でもありません。そうだとしたら、私は何者なのかと自分で考えたときに、私はその人たちと同じこの世界で(同じ地面に足を置いて)一緒に歩いて行きたいと願う、「同行者」なのだと思い当たりました。

 私はなぜ摂食障害の人たちとこんなに深くかかわるようになったのかと自問したこともあります。人は日常の生活の中では解消されない不安・ストレスを抱えたときに、いろいろなことをして生き延びる、それがおいしいものを食べたり飲んで騒いだりすることや、カラオケや旅行やスポーツなどの手段ではすまないとき、暴走や別のグループとの抗争など人の命にかかわることになったり、自分より弱い人を見つけてのいじめだったり暴力だったりすることもあります。しかし、そこで拒食・過食やリストカットを選ぶ人たちは、そんなふうに人を巻き込んだり傷つけたり悲しませたりすることはできず、自分を傷つけることを選んでしまっているのだと思います。

 私はそのような人たちが愛おしい。それが摂食障害にかかわっているその自分ながらの結論です。その人たちに次のように呼びかけたいと思います。

「今、生きているのが苦しくても、生き延びていれば『生きててよかった』と言える日が来ます。この世界を、一緒に歩いていきましょう。」