福島お達者くらぶだより

2016 1 1日発行 通算 第78

 

明けましておめでとうございます。

 皆様はどのようなお正月を迎えられているでしょうか。今年は昨年よりも良い年になるように、そしてできることなら新しい人生が穏やかに展開する、そのような世界へと足を踏み出していけるようにと念じております。

 何はともあれ、今年もよろしくお願いいたします。

 

ミーティングの部屋が変わりました

 昨年11月から、ミーティングの部屋が医大の8号館(看護学部棟)4階に変わりました。この建物の位置は「医大のキャンパスの西の端」(付属病院の反対側)と、説明しやすくなりました。駐車場がすぐ前なので、車で来られる方は便利です。新しい部屋は、エレベーターを降りて右に突き当たりの家族の部屋は見晴らしのよい気持ちのよい部屋だし、その2つ左隣のこぢんまりした本人の部屋もすごく居心地のよい部屋です。しばらく来ていない人たちも、ぜひ来てみてください。

 

 

アディクションの回復支援−支援者の役割(田辺 等 先生の講演から)

 昨年の11月、私(香山)は札幌で行われた日本嗜癖行動学会の学術集会に参加したのですが、そこで聴いた田辺 等 先生の講演の中に皆様にもぜひ伝えたいと感じる言葉がたくさんあったので、紹介したいと思います(私自身の言葉で少し修正しているのですが)。

 田辺先生は北海道の精神保健福祉センター長をされていて、特にアルコールやギャンブルなどの依存に苦しむ人たちの自助活動に寄り添ってこられました。だから、お話の内容は摂食障害とはちょっと違うところもあるし、学会での講演なので主に支援職の人たちに向けて話されたのですが、そのあたりを含んで読んでいただければと思います。

 

アディクションからの回復と支援者の役割.はじめに

「アディクションからの回復」には生き方を変えることが要請される。

 当事者は人生の経験から自らの病理に気づいていく必要がある。

 支援者は教科書やワークブックで治療の役割を果たそうとしても、その過程のリアルな姿を見、その言葉を聴いて理解していかなければ、「英語は教えられるが外国人とは話せない」英語教師のようなものになる。

 

アディクションからの回復と支援者の役割.1

「必ず治りますよ」「治ることはありません」、どちらを言う?

 支援者にはこの病気の本質を説明する役割がある。それをどう有効に果たせるか。

 「アディクションはブレーキの壊れた車、けどまた乗りたくなる、次はうまく止められるのではないかと思いながら。」「突然、何かで渇望が生じ、コントロールできない。」

 病理は治らなくても、病状のない生活を送ることは必ずできる。支援者はその手伝いをできる。

 グループミーティングはワクチンのようなもの。ただしこのワクチンは短期間しか有効でないものだから、定期的にワクチンを打ちに通うのだ。

 

アディクションからの回復と支援者の役割.2

「治療は(アルコール依存の場合)断酒しかない」で本当によいのか?

 その言葉は「病院に行ったって仕方ない」と思わせてしまう。

 治療が目指すもの=当事者が、自分が望む、自分らしい人生の「主体」に復権すること。それには断酒が必要条件である。

 

アディクションからの回復と支援者の役割.3

「自分は病気なんかじゃない」− 支援者はその否認をどう扱うか。

 ミーティングに行ったら、「あんな人たちと一緒じゃない」という否認も。

 否認は両価的な思いの一つの面として理解する。別の思いが必ず裏にある、たとえその人自身の意識に上っていなくても。

 グループに参加するのに、当事者は半信半疑の状態でかまわない。否認はグループの中でアイデンティティを獲得していくと徐々に克服される。

 

アディクションからの回復と支援者の役割.4

「スリップ」はどう考えるべきか。

 「あんなに真剣に取り組んでいたのに、あんなに順調だったのに再発、再燃。もう信じられない。」と思ってしまうけれど・・・。

 スリップは慢性活動性疾患(例えば膠原病)の発熱のようなもの。必ずと言ってよいくらいに起こる可能性があることを理解し、前もって当事者に言っておく。

 膠原病の人には、「発熱が2日続いたら必ず受診しなさい、一時的に強くなった炎症を抑えるように処方するから」と。アディクションの人なら、「スリップが2日続いたら必ずミーティングに行くか受診するように」と。

 

アディクションからの回復と支援者の役割.5

「底つき」って何?底をつかないと回復は始まらないの?

 底をつくのを待っていたら、治療者・支援者が手を差し出す前に死んでしまう場合だってある。その前に回復への意思を持てるように、動機づけられるように。

 治療者・支援者は「底つき」を自分の無力の否認に使ってはいけない!

 

アディクションからの回復と支援者の役割.6

「回復」にグループが必要な理由

 最初は「自分とあいつが一緒だなんて、許せない」と思ったりするけれど・・・

 内省を深めることは一人、あるいは治療者と一対一では困難である。他の人の率直な自己開示を聴いて、他の人を理解することが、自己の理解を促進する。

 

アディクションからの回復と支援者の役割.7

「アディクション」の基底にあるもの

 「自分が自分のままでよい」という自己肯定感が揺らぐとき、人は依存するものを求める。 依存対象はいろいろなものを与えてくれる。しかし一時的。

 依存行動のない人生の穏やかなことを知り、生き直し体験を重ねていく。

 

アディクションからの回復と支援者の役割.8

「治療者、支援者は自助グループを経験すべき!?」− なぜ?

 当事者の語りの中で、本当のことを知る(治療の場では本当のことを言ってくれない)。

つらさが理解でき、陰性感情が減る。再発、うそにも驚かなくなる。

 何よりも、話している人たちや話される言葉の中から、回復のイメージを持つことができる。

 

アディクションからの回復と支援者の役割.9

「グループはスタッフにも効く」って、どういうこと?

 治療者と当事者は単なる治す人と治される人ではない。当事者はこの病気の本当の姿を教えてくれる先生であると同時に、支援者はその人たちの心の奥底に隠れているやさしさやあたたかさに触れて、自分がやさしくなれる。

 支援者は、また、自分の過去の言動を振り返る機会を与えられ、人間として成長する。

 

アディクションからの回復と支援者の役割.最後に

「アディクションが自分には必要であった」とは?

 当事者はこれまでの人生を振り返って、依存するものがあったからここまで生き延びて来れたことを悟り、自分の人生の主人公として語ることで回復が安定してくる。

「アルコールは私を苦しめてきたけれど、アルコールがなかったら私はとっくに自殺していただろう。」

「食べ吐きは私を苦しめてきたけれど、食べ吐きは強い味方でもあった。食べ吐きがなかったら、私は自分の人生をどうしようもなく無茶苦茶にしていただろう。」

 

 

 以上、読まれていかがだったでしょうか。私はこのような言葉を聴かせてくれる人に出会えて幸せを感じ、このような先達がいることに勇気をもらえました。

 そこであらためて思うのは、(私は医師をしていますが)拒食・過食に苦しむ人たちを治してあげる「治療者」としての力はなく、かといってどうすればよいと適切に指し示してあげる「援助者」の知識もなく、自分はただ、その人たちと一緒に並んで生きたいと思う「同行者」だ、ということです。その人たちの人生の物語の整理を手伝いながら、同行者として「生き延びて、同じ地面に足を置いて、この世界を一緒に歩いて行こうよ」と呼びかけます。幸い、その言葉を受け取ってくれて、長い年月がかかっても、(私は言葉を交わす以外に何もしないのに)楽に生きるようになっていってくれる人たちがいます。皆様、ともかくも生き延びて、一緒にこの世界を歩いて行きましょう。