≡福島お達者くらぶだより≡
2015年 10月 11日発行 通算 第77号
次回(11月)のミーティングから、部屋が変わります
この会報で以前からお知らせしてきましたが、今ミーティングを行っているゼミナール室が使えないことが多くなったので、この11月から、思い切って場所を換えることにしました。新しい場所は県立医大の8号館(看護学部棟)4階のS413とS430室です。8号館(看護学部棟)は県立医大の建物群の中の西の端ですから、場所はわかりやすいと思います。すぐ前が駐車場ですから、車で来られる方は便利になります。
部屋の場所がわからなくても大丈夫なように、8号館の玄関、エレベーターホール、4階の廊下に案内ポスターを出します。
また、部屋が移ったことを知らずに来ても大丈夫なように、しばらくの間、今までの部屋に行く玄関・エレベータ・5階ゼミナール室などに案内のポスターを貼るようにしますので、失念していても心配せずに来てください。
お達者くらぶのミーティングは最初は付属病院のカンファレンス室で行っていたのですが、20年前から今月まで、第3・4ゼミナール室で行ってきました。ほんの短期間、本人ミーティングだけ平日の夜に福島学院大学の駅前キャンパスで行うことを試しましたが、参加者は少なく、やはりゼミナール室で家族と並行の週末のミーティングに戻しました。
ところが近年、そのゼミナール室が医学部学生の定員増とカリキュラムの変化で使えないことが多くなったので、また別の場所に移すことにしたのです。医学部の定員は、2年前の卒業生までは1学年80人だったものが、福島県の医師が元々不足していたところに大震災などでさらに少なくなってしまったこともあって、現在は130人になっています。その上に、臨床実習に入る前に基本的な手技や医療面接の実習をすませておくことが求められて、ゼミナール室がそれらに使われることが多くなってしまったのです。
新しい看護学部棟の部屋も、県立医大の入学試験の時にはすべて使えなくなります。来年の3月がそれにぶつかりますので、その来年3月だけは蓬莱学習センターで行います。医大からは歩いても行けるくらいの距離にある公共施設ですが、いずれ詳しく案内します。
依存症に苦しむ人の周りの人はどうする?
【ここに書くのは、私(香山)がある大きな(1000人規模の)団体に、アルコールやギャンブルを中心に依存症についての講演を依頼されたときに話した、その最後の部分を少し修正したものです。その講演では、「依存症に陥っている部下に対して上司はどういうふうに指導したらよいか」と尋ねられていた、それに対する答です。】
最後に話させていただくのは、依存症に苦しむ人の周りの人たちへの提言です。さまざまな依存症に苦しんでいる人たちだけでなく、その周りにいる人も苦しかったり、あるいはどうすべきなのか困ってしまいますが、その人たちはどうしたら良いか、何ができるでしょうか。下手に手を出して、共依存に陥るのだけは避けなければいけませんし。実は今日は、特に上司はどういうふうに指導したら良いのか、と尋ねられていました。
まず言いたいのは、指導しようとしたって指導なんかできないことです。いくら理詰めに諭しても、本人だってそれはわかっていても止められないのが依存症だから、です。どうすべきだ、どうしたら良いなんて、本人の方がずっとよく知っていることが多いくらいです。それができれば依存なんかに陥るような苦労はしていません。
それに、わかって欲しいことは、指導しようとするのは、上から目線で見ることであり、そのような上から見下ろすことは相手を傷付けて、ガードを堅くしてしまい、受け付けてもらえない、ということです。それは相手が子どもでも同じで、例えばいじめられている子どもたちは指導しようとする先生には決して本当のことを言いません。自分の親でも、その親が子どもは教え導いてやらなければいけないのだとばかり考えているような場合には、本当のことは話さない。話してもらえるのは、実際にしゃがんで同じ高さになって、その苦しさを受け取ろうとしたときだけです。
すなわち、受け入れてもらえるのは、同じ目線に立った人の言葉だけです。その目線から苦しさに対する共感を持ってやさしさの伝わる言葉がかけられたときにのみ、その言葉が心に浸み込んでいきます。
そのようにして、周りにいる上司や同僚の人たちは、依存症に陥っている人の抱えている不安や恐怖、その苦しさに共感して、自分たちは本当に心配しているのだとわかってもらう、その上で専門家のところにつないであげるほかないのです。そこに臨床心理士がいるならまずは臨床心理士のところ、そこで解決がつかないくらいにこじれているときには専門の病院など、ということになるでしょう。
その専門家でも、医者やカウンセラーにはアドバイスしなければと考えている人たちがいますが、そのアドバイスも上から目線のもので、役に立ちません。それでは例えば私は何ができるかというと、その苦しさに共感を示してここは安心できる場だと少しでも思ってもらい、そこで心の中に渦巻く思いを言葉にしてもらう、そして話される混乱した言葉を少し整理してあげることくらいです。
しかし、そのように対応しても、全く受け付ける気配のない人たちもいます。以前には、そんな人たちは一度、落ちるところまで落ちなければどうしようもないのだ、と考えていた専門家たちもいました。それを「底つき」理論と言います。しかし、底をつくのを待っていたら、そのまま死んでしまうことだって多々あります。だから、簡単に受け入れてくれなくても、繰り返し繰り返し、心配していることを伝え、「何としてでも生きていこう、また一緒にやっていこう」と誘い続けることしかできないし、それが必要なことです。
こんなことを言うと、指導方法を教えてもらえるものと期待していた人たちはがっかりするかと思いますが、これが依存症の本当の姿だと理解していただければと思います。私たちは本当に無力なのです。無力ではあっても、できることはあるのだ、と話させていただきました。